吉本隆明氏の死亡とマチウ書試論
2012年3月16日詩人で評論家の吉本隆明氏が87歳で亡くなりました。吉本氏については、今年1月2日のブログでも触れました。
彼の初期の代表作『マチウ書試論』は、ちょっと読んだだけで記憶にほとんど残っていません。マチウがマタイである事、イエスがフランス語読みで「ジュジュ」となっている事など、特異な表現だけが少し頭に残っていただけです。
全共闘の世代は『共同幻想論』などといった本を良く読んだようですが、私は松岡正剛氏が言うように、「つまらない」作品としてあえて読みませんでした。今回図書館で『吉本隆明が語る戦後25年』という本を借りて読みました。彼自らがマチウ書試論を書いた動機などを語っているわけですから、これほど確実な事はありません。
吉本氏がマチウ書試論を書いたのは1954年頃だったとの事です。その背景には戦前の日本人の精神的支柱となった「国家神道」が圧倒的な力を持ち、キリスト教などほとんど学ぶ余地がなかったという実情がありました。ですから戦後の何もやる気の起こらないどん底状態の時、吉本氏はキリスト教に取り組んでみたという事です。そして実際東京の九段にある日本基督教団富士見町教会に足を運び、そこで牧師の説教を聞きました。
ところがこの教会の雰囲気が、ニヒリズムに陥っていた吉本氏にはなじめなかったとの事です。それは教会の礼拝が「既に型が決まっている世界のように思え」たからです。
そこでつまずいた吉本氏は「自分なりの聖書の読み方」に心を集中させました。そして新約聖書から自ら学んだ事は、まず第一にそれが「貧しい者や虐げられた者のための宗教」であるという事でした。それは福音書を見れば、キリストが主としてそうした人々を対象に伝道されたので理解は出来ます。
次に学んだ事は「キリスト教というのは一種の絶望の宗教だという」事です。それはなぜか?キリストは故郷のナザレで兄弟や親族に拒否され、弟子の筆頭格ペテロに拒否され、十字架において父なる神から拒否されたといった事から、キリスト自身「絶望」していたのではないかと考えたのです。
とりわけ富士見町教会での納得ゆかない牧師の説教から、吉本氏は有名な「関係の絶対性」という概念を持ち出しています。しかし私にはその言葉の持つ意味がいまだ良く分かりません。
そして吉本氏は他にもルナン、エンゲルス、シュバイツァー、ドレウス、田川健三、バルト、エックハルト、太宰治、芥川龍之介といった人々のイエス像を読み、そういう人間の書いたものからイエスを理解しようとしました。聖書そのものから虚心に救い主イエス・キリストを学んで行くというのではなく、周辺の本からイエス像を勝手に作って行ったところに、吉本氏の悲劇があります。だから彼にとっては「イエスが実在の人物であるかどうかはあまり問題にならない」という結論に達しています。それがマチウ書試論を書いた動機になっています。そして聖書を文学的に展開する為、「マタイ伝」ではなく、「マチウ書」、「イエス」ではなく、「ジュジュ」と言い換えたそうです。
また吉本氏は聖書におけるイエスの奇跡についても、「荒唐無稽だと言っちゃうとサイエンスになってしまいますし、このとおりでしたと言えば信仰になってしまいます。そうではなく、虚喩の言葉と解すれば、これは成り立つ」といった把握をしています。神且つ人だから奇跡はその御力を表わすもので、私たち信徒はそれを受け入れていますが。
ややこしいのはこの本の半ばにインタビューというコーナーがあって、小説家でカトリック信仰の小川国夫氏が登場している事です。彼はマチウ書試論を「アンチキリスト教」と切って捨てていながら、聖書の奇跡について「僕だったらズバリ言います。奇跡はなかったのに決まっているんです」などと言っています。小川氏は既に故人ですが、幼児の時に「洗礼」を受け、そのままキリスト者になったつもりだったのでしょうが、このインタビューでは、およそ「地の塩」、世界の光」(マタイ5:13,14)として、キリストの栄光を表わしていません。
それはとにかく吉本氏は死の床で、イエスの事をどんなふうに考えて亡くなったのでしょうか?