ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

家族に依存している若者の深刻な貧困

 「パラサイト」という言葉が出来て流行し始めたのが正確にいつかというのは難しいですが、この言葉自体は1999年に出た山田昌弘氏の『パラサイト・シングルの時代』という本の題で使用されており、それが嚆矢ではないかと考えています。パラサイトとは寄生する、依存するという意味です。
 それ以後、或いはそれと前後して家庭の親の収入に頼る無職単身の男女の事が話題になり始めましたが、それは企業側から見れば、真面目に働こうともせず家でぶらぶらしているという一方的な観方で捉えられていたと思います。
 ところがそれから数年経過して、そんな事が話題にもならないほど、パラサイトの若者の貧困化が目立つようになっています。
 その問題に精力的に取り組んでいるのが湯浅誠氏であり、また若手社会学者の本田由紀氏らです。
 本田氏はまさにこの貧困問題に対して極めて真面目に且つ情熱的な取り組んでおり、もし東大闘争の頃だったら全共闘の一員になっていたのは間違いないでしょう。著書や新聞などでの批評は多くありますが、何と言ってもその名を有名にしたのは、『「ニート」って言うな!』という挑発的な題の文庫本でしょう。

 代表的なものは買ったり借りたりして読みましたが、今回図書館で借りたのは既出の論文などを集めて文庫化したもので、題は『軋む社会』(2008年発行)です。
 グローバル化の進んでいる社会で富裕な人々と貧困な人々との二極分化が顕著になって来ていますが、それは若者たちの間にも反映されています。親の収入や 本人の学歴その他の要因が重なって、「負けた層」に落ち込んだ若者たちが、もはや一生這い上がれないのは、湯浅氏の「滑り台社会」「溜めがない」という言葉で端的に示されています。本田氏はこの本で貧困化した若者たちと依存する家族の問題をかなり突っ込んで考察し、いろいろ提言をしています。
 とにかく年収の極端に低い若者は結婚する事も出来ず、労働への意欲を持ちながらもハローワークで仕事を見つける事が出来ず、年金その他比較的多くの収入があり、家も持っている親にすがらざるを得ないのは当然でしょう。
 ところが本田氏によれば、企業の側もそうした若者の家族依存を見込んだ上で、あえて困窮状態を放置しているそうです。
 「これほど大量の低賃金労働者が暴動に走りもせず社会内に存在しえているのは、彼らを支える家族という存在を前提とすることにより、彼らの生活保障に関する責任を放棄した処遇を、企業が彼らに与えつづけることができているからなのだ」。
 するともしそうした頼るべき親が早逝したり、離別したりする事があり、十分な遺産もなかったとすれば、若者たちはたちまち厳しい困窮状態に陥ってしまうのです。
その親世代もあと僅か、はじき出されるのは、「むき出しの低賃金労働者の巨大な群れ」となります。 
 米国ではそうした若者をはじめ、99パーセントの貧困者が「占拠せよ」の抗議行動を起こしましたが、日本では専ら自己責任の問題などと解釈して、ホームレスになったり、相談先が見つからず、自らいのちを断ったりしています。抗議行動を起こせないままです。
 本田氏の具体的な提言は、そういう事態に陥る前の若者たちが家を巣立つ時、学費生活費の補助や、独立した時の住宅費補助等社会保障費の拡充です。これはその通りですが、今の政府の現状を考えれば画餅かも知れません。私ならどうか、そして聖書はどう言っているでしょうか。
 まず若者が親元を離れるのは、創世のはじめから当然の事でした。
 「それゆえ、男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである」(創世2:24)。
 これを不可能にしている企業はその責任を神から問われるでしょう。
 私の場合狭心症の母親を40年近く見て来て、母の遺族年金に依存していました。そして母の召天と共にそれが無くなり、基本的には貧している状態です。
 でもパウロはこう証言しました。
 「私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません」(コリント第二4:8)。
 私は実にこのみことばにより、貧していても窮する事がないという恵みに与かっています。