ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

マニフェストの挫折、神の契約の不動

 2012年4月6日の朝日新聞に、「マニフェスト文化挫折」という題の記事がありました。末尾の文化とは一体どういう意味だろうと思いました。
 内容は自民党から民主党に変る時、民主党の掲げたマニフェストが細かく列挙され過ぎていて、変化に追いついて行けなかった為挫折したというものでした。 このマニフェストという言葉ですが、ラテン語起源のようです。そしてその意味はウイキペディアによりますと、「有権者に政策本位の判断を促すことを目的として、政党または首長・議員等の候補者が当選後に実行する政策を予め確約(公約)し、それを明確に知らせるための声明(書)」とあります。
 2009年の衆議院総選挙、それまで極めて曖昧だった自民党の公約に対して、鮮明に政策を列挙し、「国民との契約」を謳って大いに期待感を持たせた選挙でした。自民党が初めて下野し、細川内閣(1993〜1994年)が成立した時は、長く存続して自民党の金権体質を断つ事が政治の為にも良いと思っていましたが、僅か1年に満たないうちに辞め、がっかりした事があります。その後の村山内閣から再度自民の単独政権に戻り、あいも変わらぬ政治に飽き飽きしていました。ですから公約内容の実現を強調した民主党には、1票を投じ熱い思いを抱いたものでした。

 しかし蓋を開けてみると、この公約の実行がいかに難しいものかという事を、次々と思い知らされました。そもそも鳩山内閣発足からまもなく国土交通大臣となった前原誠司八ッ場ダムの事業中止を、公約通り実行しようとして挫折して以来、政権不信の第一歩が始まったように思います。さらに次の官政権でマニフェストになかった消費税増税の話が唐突に出てきてから、だんだん国民の不信感が増大していったように見えます。また突如襲った東日本大震災への対応の苦慮があったのも、響いていると考えます。
 朝日記者は「『契約は一言一句履行されてこそ効力を持つ。いきなり例外を認めたことが「アリの人穴」となり、その後に相次ぐマニフェスト違反の導火線となった」と、聖書張りの言葉を連ねています。
 そして野田政権になってから、当初のマニフェストはほとんど骨抜きとなり、消費増税をしゃにむに進めた結果、国民の不信は頂点に達し、もはや次の選挙で民主党が勝つ事はあり得なくなるほどの惨状です。政治の話はこれくらいにして、要はマニフェスト=公約=国民との契約が履行されずに、背信の方向へ暴走するとどんな事になるか、という事を思い知らされたこの2年間でした。
 聖書では勿論旧約・新約とあるように、神とその民との契約は極めて大きな意味を持ちます。神は「わたしは、わたしの契約を破らない。くちびるから出たことを、わたしは変えない」(詩89:34)と断言され、民の側で裏切っても、神は忠実にその契約を実行して来られました。それでも神はこう言われました。
 「彼らがわたしの契約を守り通さないので、わたしも、彼らを顧みなかったと、主は言われる」(ヘブル8:9)。
 政治の世界でマニフェスト違反が刑罰に問われる事はありませんが、神と民との契約では、民の違反は罪ですから、終わりの時に「死」という刑罰の報いがあります。