ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

松戸戸定邸の豪華な庭園

 2012年5月8日、自転車で松戸駅からすぐ南にある戸定が丘歴史公園まで行って来ました。普段運動と料理の他はほとんどパソコンに向かっているせいか、かなり目を悪くしてしまい、先日左目がけっこう内出血してしまいました。病院には行きましたが、治るまで一週間との事で、処置はありませんでした。ただ見えにくくなっていて、パソコンはあまり出来ないので、ちょっと緑などの自然を見て休養という軽い気持ちでした。
 公園にある戸定邸というのは、松戸市の公式ホームページを見ますと、「明治17年(1884年)4月に前水戸徳川家当主・徳川昭武(あきたけ)が中心となり建てた大規模和式住宅で、明治前期の上流住宅の指標となるものとして、その歴史的価値が高く評価され、平成18年7月5日に国の重要文化財に指定されました」とあります。
 徳川昭武はウイキペディアによりますと、父は水戸藩9代藩主徳川斉昭江戸幕府第15代将軍徳川慶喜の異母弟に当るそうです。諸外国を歴訪し、戻ってから1869年(明治2年)水戸藩最後(第11代)の藩主に就きました。次いで版籍奉還水戸藩知事となるも、後の廃藩置県で東京に移り住み、明治17年(1884年)に戸定邸で隠居生活を送ったとの事です。そして明治43年(1910年)に58歳で亡くなりました。
 従って西洋に通暁し、身分としても申し分なく、上流階級のトップクラスだったと思われます。
 松戸を知ったのは明治8年(1875)に狩猟の為訪れてからですが、そこが気に入り、明治16年(1883年)に和風の戸定邸建設にかかり翌明治17年にそこに移り住みました。その為明治の旧大名家の和様邸宅としては、全国的にも数少ない貴重なものだそうです。しかし庭園は和洋折衷式になっており、極めて美しいです(私は垣根から覗いただけですが)。狩猟、自転車、魚釣り、焼き物、写真など大いに楽しんだようです。

写真左は戸定邸に至る階段、右がその内部です。

 入館料がとられるので、私はその入り口から奥を狙ってシャッターを切りました。これでも純和風である事が分かります。
 一方庭園は垣根越しに撮った写真でも分かりますが、まさに和洋折衷です。

 左図で右端、木々の間に隠れて邸宅があります。そのすぐ東に隣接して茶室としての松雲亭があります。
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 松雲亭は門が閉まっていました。この日はやっていなかったのかも知れません。
 このように緑一杯豪華絢爛たる邸宅と庭園です。聖書のソロモンもそうした邸宅・庭園の建造に努め、快楽を追求しました。しかし結果はどうだったでしょうか。
 「私は事業を拡張し、邸宅を建て、ぶどう畑を設け、庭と園を造り、そこにあらゆる種類の果樹を植えた。木の茂った森を潤すために池も造った…私は、私の目の欲するものは何でも拒まず、心のおもむくままに、あらゆる楽しみをした。実に私の心はどんな労苦をも喜んだ。これが、私のすべての労苦による私の受ける分であった。しかし、私が手がけたあらゆる事業と、そのために私が骨折った労苦とを振り返ってみると、なんと、すべてがむなしいことよ。風を追うようなものだ。日の下には何一つ益になるものはない」(伝道者の書2:4〜6,10〜11新改訳)。
 このす「すべてがむなしいことよ」のヘブル語は1:2の「すべては空(くう)」と同じです。ハッコール(=すべて)・ヘーベル(空である、虚しい)。
 この「空」という訳語は明治の文語訳で出て来ます。仏教の基本的な考え方を踏襲したような感じがします。でも格調は高いです。徳川昭武も最期の時、そんな事を思わなかったでしょうか?