ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

閾値無し直線仮説

 原発事故以来、放射能を浴びた人々の数は膨大なものとなり、それは地域としても東日本に限らず、西日本にも拡散していると思われます。原発から出る大量の放射能が停止する見通しがたっていないからです。
 特に原発周辺では若い人々がその生涯のうちにがんを引き起こす可能性が高いので、結婚してこれから子どもをと思っている夫婦を主体に、故郷を捨て低線量の地域に引っ越す計画を立てている人々は、相当数いるでしょう。
 どれ位までの被曝が安全なのかという議論は、これまで随分されて来ました。年間の安全とされるおよその値が公表されていますが、反原発の学者によれば絶対安全な数値というのはあり得ないという事です。
 ずっとその事を考えて来て、図表も何回か見ましたが、2012年5月29日の「フォーブズ」サイトに「私たちは低線量の放射能被曝を一般市民から隠すべきか」という記事があったので、早速閲覧してみました。
 そしてその中に、題にあるような「閾値無し直線仮説=the Linear No-Threshold (LNT) Hypothesis」というのがあるのを見つけました(http://www.forbes.com/sites/jeffmcmahon/2012/05/29/should-we-hide-low-dose-radiation-exposures-from-the-public/)。
 それは「どんなに少量であっても、さらなる放射線量が全く安全だと言う事は出来ないという意味です」とありました。
 さらに別のサイトで確認すると、「放射線の被曝線量と影響の間には、閾値がなく直線的な関係が成り立つという考え方…低線量放射線の影響についてはよくわからないが、影響があると考えておいた方が安全だ」という考え方に基づいたもので、科学的に解明されたものではないことから「仮説」と呼ばれてい」るとありました。閾値とは「ある反応を起こさせる、最低の刺激量」(*コトバンクより)という意味です。

 フォーブズによると、福島原発事故が起きてからも、米国のマスコミなどは、扱いが難しい事もあり、そのニュースを無視していたとあります。放射線量は一般市民が心配するよりも遙かに低いもので、政府などの答弁に耳を傾けていれば良いといった感覚でした。人々をいたずらに不安がらせる事はないというわけです。
 しかし大抵の科学者たちは、余計な被曝をすればもっとガンになりやすいと思っていたようです。
 資源・安全保障問題研究所のゴードン・トンプソン所長は、図にあるような、ほぼゼロレベルに近い人でも、被曝量に比例する形で将来がんが発生するというのが、科学的合意になっているといっています。それが閾値無し直線仮説です。トンプソン氏は政府などがその意味を軽視し、記者たちは共謀してそれを一般市民から隠しているというわけで、そんな事をするから科学に対する市民の信頼を脅かすのだと言っています。
 また市民の恐れは、この仮説の論理的意味を隠す理由にはならないと主張しています。隠すと全く逆効果になります。いずれ真実が明らかになるわけですから、それは関連する専門家や科学そのものへの信頼を揺るがす事に繋がります。そんな隠匿は横柄で陳腐なものだと氏は主張します。これは福島の死の灰が米国に到達した時の記者たちの態度でもありました。記者たちの中には、氏に対して「ミルクが安全なのは疑いがない」などと断言していた人がいました。彼らが軽視するのは、放射性物質によってミルクの販売が鈍ってしまうからです。
 しかし氏は最後に「低線量の放射線でも人々を病気にし、殺す事が出来るのなら、私たちは被曝を一般市民から隠すべきだろうかと問うています。
 これを聖書に当て嵌めて見ると、私たちの心にある罪が行動に表れた場合、それが極めて小さなものなら安全で、将来の死に何ら影響を与えないと言っているようなものです。しかし聖書によれば、どんな罪でも罪には違いなく、歳を経れば経るほど、心の中で大きく広がり、遂にその結果としての死をもたらす事になります。神の規準では罪に閾値はありません。人々は世の罪咎を浴びたり浴びせたりしながら、どんどん心の中を悪化させ、結局死に至る病となってゆきます。
 「すべての人は、罪を犯したので、神の栄光に達しない」(ローマ3:23)。 
 「…罪が熟すると死を生みます」(ヤコブ1:15)。
 閾値無し直線仮説は、聖書でいう人間の罪でも該当するのです。