ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

三ノ輪の浄閑寺と吉原

 2012年5月17日に南千住まで用事で行き、そこから直ぐ近くにある回向院の事を書きましたが(http://d.hatena.ne.jp/hatehei666/20120531/1338459845)、その時常磐線沿いにもう少し西へ進み、その反対側にある浄閑寺を訪れました。

 この寺は有名な吉原遊郭において、病気等で死んだ遊女を葬った事で知られています。三ノ輪の「投込寺」とも呼ばれています。荒川区教育委員会の作成した説明がありました。

 それによりますと、安政2年(1855年)に大地震があり、その時死んだ多くの遊女たちがこの寺に投げ込まれたという事です。
 中に入って行きますと、奥に卒塔婆がたくさん立っている一画が見えます。

 ネットの情報によると、こうした遊女たちについて記された過去帳では、平均年齢は22歳ほどだったそうです。おそらく遊女になりたくてなった女性は少なかったでしょう。
 この吉原ですが、元々は日本橋人形町にあったそうです。山川日本史にも載っている明暦の大火(1657年)がきっかけで、そこから今の場所に移ったそうです。それは地番で言うと、台東区千束の3,4丁目あたりになり、当日はそこまで行きませんでしたが、地図上では4丁目に「吉原大門」の信号が見えます。

 左図は浄閑寺付近から見た千束4丁目(右手奥)です。
 それでは聖書には「遊女」の事が載っているでしょうか?聖なる書にそんな記事がと思われるでしょうが、ちゃんとあります。検索で44箇所がヒットします。既に創世記で出て来ます。
 「ユダは、彼女を見たとき、彼女が顔をおおっていたので遊女だと思い、道ばたの彼女のところに行き、『さあ、あなたのところにはいろう。』と言った…」(創世38:15−16)。
 実際にはこの女は遊女ではありませんでした。しかしこのヤコブの子ユダは彼女と寝て罪を犯しました。でも彼の子孫から救い主イエス・キリストがお生まれになる事が、マタイ1の系図に記されています。つまりキリストには罪はなくても、罪深い人のかたちをとって世に来られたわけです。
 遊女と交わる事の危険性は箴言にも載っています。
 「知恵を愛する人は、その父を喜ばせ、遊女と交わる者は、財産を滅ぼす」(箴言29:3)。
 吉原大門は標識で分かりますが、そうでなければここが昔遊郭のあった場所とは分かりにくいです。しかしそこから中に入ると、ソープランドが幾つかあるそうで、人間の性欲や悪い考えは、その罪深い性質の故に、ずっと変わっていないという事でしょうか。聖なる書はただ御一方、主なる神のみ「聖」である事を際立たせています。