ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

哲学者森岡正博氏の永遠問題への批判

 2012年6月18日の朝日新聞夕刊「こころ」欄では、「生きるレッスン」と称して、哲学者の森岡正博氏が執筆していました。この欄他にも明川哲也氏やあさのあつこ氏が登場しており、長く続いています。
 この日の「生きるレッスン」は、「永遠はあるのか」というテーマでした。

 森岡氏は「人間は太古の昔から、永遠とは何かを考えてきました…」と切り出しています。それはいかなる人間であろうと皆死ぬので、果たして永遠に存在するものはあるのだろうかといった素朴な疑問から出て来たのでしょう。
 しかし森岡氏は当然知っているはずの聖書における「永遠のいのち」には触れていません。「死後にもたらされる『永遠のいのち』という考え方は、人を愛する者の、こころからの叫びによって生み出されたものかもしれません」などと、推測で書き綴っています。ちなみに森岡氏は東大文学部倫理学科を出て、大学院まで進んだ知性に溢れた人です。
 しかも続けて「しかしながら、死後の世界を信じることのできない人もたくさんいます。実は私もそのひとりです」と言っています。つまり森岡氏は倫理学でも学んだはずの救い主イエス・キリストを全く信じていない事をここで告白しています。そして聖書に出て来る「愛」とは違って、「永遠」と「愛」を自分の考え方で語っています。
 これが世の哲学者の考える難しい事で、信仰への妨げになります。別に森岡氏を非難しているわけではありません。
 聖書では何を語っているでしょうか?
 「イエスは言われた。『わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです』」(ヨハネ11:25)。
 「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)。
 そのように救い主イエス・キリストは、私たち全ての罪を負って十字架で死に、葬られ、三日目によみがえられました。それが福音であり、このキリストを信じる人には、賜物としての永遠のいのちが与えられます。ですからたとえ死んで肉体が滅びても、霊魂は瞬時に天に引き上げられ、永遠に生きるのです。しかも世の終わりの時には、その朽ちたからだの代わりに朽ちない霊のからだも与えられ、キリストと同じ復活が完成します。
 その事は全て聖書に啓示されている事であり、実際にそれを読み、真摯に求める事によって人は救われます。世の哲学者は自分で難しい事を考えて記述しますが、そこに永遠の救いというものは存在しません。
 森岡氏の生きるレッスンは、救いを得た人が人生の試練に出会い訓練され、練りきよめられた品性を授けられるのとは全く無関係です。畢竟哲学者と信仰者は相容れない事になります。はなはだ残念ですが。