ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

坂本龍一氏の核廃絶への思い

 2012年6月27日の朝日新聞に、「人類は核と共棲できぬ」という題で、音楽家坂本龍一氏が記事を寄せていました。

 坂本氏は私よりほぼ6年後に東京で生まれ、都立新宿高校時代から学生運動をやっていた事は知っていました。朝日によればベトナム戦争が激化している時、平和を求めてそうした運動に飛び込んで行ったようです。私はベ平連のデモには時々参加していました。左図はウイキペディアより借用。
 その後坂本氏は東京芸大で作曲を学び、優れた音楽を多く生み出していました。
 映画「ラストエンペラー」を観に行く機会はありませんでしたが、その主題曲はクラシックの好きな私にはすっと入って行ける優れた音楽だと思いました。
 その坂本氏が1990年から米国に渡り、ニューヨークを拠点に活動していたとは知りませんでした。
 それから11年後あの9・11同時多発テロ事件が坂本氏の住むところから近くで勃発したわけです。これは坂本氏に相当大きな衝撃を与えました。そして「殺し、殺されという緊張状態では、とても音楽を作ったり楽しんだりすることはできないと確信しました。人間が音楽を楽しむためには、どうしても平和が必要なのだ…」という思いが募ってゆきます。そしてさらに10年経過して3・11東日本大震災が起き、「人類は…核とは共棲できないことを全世界に訴えること」これが被爆国日本が世界に果たすべき責任だと主張しています。そして実際被災者たちへの多様な支援と、原発廃止に向けた積極的な提言も行なっています。
 ちなみにニューヨークの目標にされたビルの隣のビルの事務所に勤務していた堤未果さんも、それ以後ルポ作家として精力的に活動しています。
 坂本氏はチェルノブイリ原発事故では、普通の人と同じ程度の関心しか持たなかった事を悔やんでいました。私も1999年に起きた東海村JCO臨界事故では、そこからあまり遠くないところに住んでいた者として、かなりの脅威を感じました。初めて「臨界」という言葉を知り、被曝した大内さん(16〜20ミリシーベルト以上)が東大病院で極めて悲惨な死に方をした事をマスコミ報道や本で知り、放射能被曝が何と恐ろしいものかという事を実感しながらも、福島原発が起こるまでは、ほぼ薄い関心で終わっていました。
 それで坂本氏の記事を読み、ますます原発事故を風化させてはならないと改めて思いました。野田政権は消費税増税原発再稼動を抱き合わせに、役人の言いなりで政治を進め、とりわけ原発推進をごり押ししていますが、極めて大きな憤りを感じます。
 イエス・キリストはマタイ伝の山上の説教で信徒たちに、「平和をつくる者は幸いです」と言われましたが、私も弟子の一人として地道に平和を作り出す作業を持続させないといけないと考えています。財力がなく、ほぼ身体障害者に近い私が出来る事は限られていますが。
 坂本氏は上記のように、音楽を楽しむ為にはどうしても平和が必要だと主張しています。世界中で起きている悲惨な戦争を想う時、それとは無関心のまま音楽を楽しむ事は出来ないという坂本氏の心情を考えた時、やはり次の聖句が浮かんで来ました。
 「喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい」(ローマ12:15)。
 東日本大震災の被災者が多数いて、今もひどい生活を強いられ泣いている時、一人音楽を楽しみなさいとは言えなくなった坂本氏に深い共感を感じます。