ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

禁酒の話

 6月25日の朝日新聞に「酔わせます 禁酒の話」という題の記事が載っていました。発端は高島福岡市長が職員に一ヶ月間自宅外で飲酒しないようにという通達を出した事です。この期間が過ぎたので、朝日ではいろいろ取材したようです。
 日本で禁酒の動きは既に758年に文献が出て来るようですが、本格的な酒の売買を禁じたのは、1252年の鎌倉幕府だそうです。それを「沽酒禁制」と称しています。そういう記事は初めて見ました。

 昔テレビで「アンタッチャブル」というエリオット・ネス主演の連続番組をやっていて、FBI対シカゴのギャング、アル・カポネの壮絶な戦いが展開され、はらはらしながら観ていました。そのカポネの酒の密売を広めたのが、それを禁じた禁酒法(1919年)でした。律法に精通していた使徒パウロは、「しかし、罪はこの戒めによって機会を捕え、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです」(ローマ7:8)と告白しました。法が存在する時、それを遵守するのではなく、かえってそれに逆らうのが、罪深い私たちの性質です。
 それで酒が原因のトラブルは昔から枚挙に暇がありません。
 しかし酒は百薬の長とも呼ばれ、適量に飲んだ時、憂いを忘れ健康にも良いのかもしれません。
 酵母を含む万物は、創造の時点で神が造られたものです。神はそれが終わった時点で「非常に良かった」と言われました。おそらく酵母は創造の第三日にぶどうの木と共に造られたと思います。それは他の生物との良き相互作用を果たしていたと思われます。
 しかし人間堕落後、特にノアの洪水以後それは、突然変異などで変質し、人間の為にはむしろ害となる事が多かったようです。特にパン種=酵母についてパウロはこう言っています。
 「あなたがたの高慢は、よくないことです。あなたがたは、ほんのわずかのパン種が、粉のかたまり全体をふくらませることを知らないのですか」(コリント第一5:6)
 ここではは酵母の急激な膨張が悪に譬えられています。それはまた人間のカンジダ症を引き起こす病原体ともなっています。
 ぶどう酒の強い酔いは神の良しとされる事ではなかったはずです。失敗したのがノアでした。
 「さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた」(創世9:20−21)。
 しかし神は適量のぶどう酒を、パウロを通して病人に与える事を認められました。
 「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、たびたび起こる病気のためにも、少量のぶどう酒を用いなさい」(テモテ第一5:23)。
 ですから聖書の神は酒(ワイン)そのものを禁止されたのではなかったと考えます。それは旧約では神への捧げ物にもなっていました。それに酔っ払う事が問題だったのです。一方イスラム教では、飲酒は厳禁です。6月26日の朝日の記事に、酒を飲み3度目の逮捕で死刑判決が出た事を報じていました。
 キリスト教信徒にとって大切な神の戒めは以下の通りです。
 「また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい」(エペソ5:18)。
 私たちが神の第三位格である聖霊に心の中を満たされた時、喜びに溢れ、全く放蕩などあり得ません。これはパウロが教会に対して勧めた事であり、世の人々の集まりにではありませんでした。教会の集まり、交わりでは全く酒を必要としません。信徒はストレスや試練にさらされますが、教会では愛をもって執り成しの祈りをしています。コーヒーやお茶などで十分です。酒のたしなみを第一にするのではなく、神を第一にする生活なら幸いです。