ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

いじめによる自殺は繰り返す

 2012年7月4日の朝日新聞に、「死亡生徒に『自殺練習』」という題での調査記事がありました。これは滋賀県大津市での市立中学にて、ある男子生徒が自宅マンションから飛び降り自殺した(まだ断定的ではありませんが)事で、学校側が全校生徒を対象に行なったアンケート調査により、複数の証言者があった事から判明しました。
 その複数の証言者たちは伝聞として、この生徒は「毎日自殺の練習をさせられていた」「自殺のやり方を練習しとくように言っていた」と語っています。それ以外にはこの生徒に対する恐喝、金品の請求があった事、万引きを強要された事、成績表を破られていた事などが挙げられています。後続の新聞記事では、学級の担任も彼を助けてあげませんでした。これでは追い詰められて当然です。
 その為この男子生徒の親は、いじめた同級生やその保護者を相手取り、大津地裁に損害賠償を請求する訴訟を起こしました。
 それに対して、いじめた生徒を擁護する大津市側の証人は、「いじめが自殺の原因かは断定できない」と主張し、3人の生徒はいじめの事実を否定し、「遊びだった」と述べたそうです。
 この事件、学級担任も加担したいじめグループによる「葬式ごっこ」で、追い詰められ自殺した男子生徒の事件と良く似ています。そこではいじめたと見られる男子生徒やその保護者に対し、自殺した生徒の親が東京地裁に損害賠償を求め、裁判を起こしました。ウキキペディアでは、地裁はこの行為をいじめと認めず、高裁でも基本的にはそうですが、1千万円を越える賠償命令を下しています。*最高裁までの情報は分かりません。
 このいじめによる自殺と思われる事件は繰り返し発生しており、今後も続くでしょう(http://yabusaka.moo.jp/ijime-jisatu.htmでは1978年から2008年までの主要な事件を取り上げています)。

 かつて私自身が集団的いじめの対象とされました。母親の機転で元の小学校に戻る事が出来たので、大事には至りませんでした。昭和30年代初頭という事もあり、まだいじめが自殺を引き起こすほど悪質化してはいなかったと思います。現在の学校環境では、いつこうした自殺事件が生じても不思議ではないと私は思っています。
 聖書によれば、だいたい善悪の区別のわかる小学校上級あたりの生徒の心から「悪い考え、殺人、姦淫、不品行、盗み、偽証、ののしり」(マタイ15:19)などが生じて来ます。それはあらゆる人々の心に巣食う「罪」の性質の現われです。そしていじめも聖書に出て来ます。早いところでは創世16:6で、信仰者アブラハムの妻サラ(*この時点ではアブラムとサライ)が、女中のハガルをいじめた記事が出て来ます。
 最近見つけたのが、ヨブ19:3にある記事です。
 「もう、十度もあなたがたは私に恥ずかしい思いをさせ、恥知らずにも私をいじめる」。
 これは真の信仰者を自称するヨブの3人の友人たちによるいじめです。彼らは最初試練に会って苦しんでいるヨブを訪ね、彼を慰めようとしましたが、途中からヨブの言い分に、代わる代わるいちゃもんをつけ、余計に苦しめるようになりました。そのように弱い者いじめは普遍的に存在します。
 上記サイトのいじめと思われる自殺事件では、いじめた生徒も、学校も、教育委員会も、市や県などの自治体も、裁判所も、決してその因果関係を認めようとしません。およそそうした罪が内在する固有のものである事を分かっていないからです。聖書的背景のない日本ではむしろ当然かも知れません。
 それ故子どもに先立たれた親としては無念の思いでしょう。私たちの神はどうでしょうか。全ての人の心を見抜いておられます。ですから旧約聖書においては「故意に罪を犯す者は、主を冒涜する者であって、その者は民の間から断たれなければならない」(民数15:30)などとあります。神のかたちに造られ、その御目に尊い者が断たれた時、それは主に対する大きな冒涜となり、その罪を犯した者は死刑でした。新約聖書ではそうした者は死んだ後ハデスというところに行き、最終的に主による白い御座の裁きがあって、その後行く所は第二の死とも呼ばれるゲヘナになります。世々限りない苦悶の場となります。
 その裁き主イエス・キリストを畏れる人は幸いです。