ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

東日本大震災津波による死亡者・家族

 東日本大震災で生じた津波では、2012年3月末までの統計では、死者・行方不明者を含め2万人に近づいており、今なお捜索は続けられています。
 私たちは新聞やテレビの映像でその猛威をまざまざと見せ付けられ、その犠牲者のあまりの多さに震撼しました。

 写真左はネットから借用。
 しかし私たちはそうした鳥瞰図に目を奪われて、実際その災害現場からの生々しい情報を直接読んだりする機会はあまり多くなかったでしょう。死者とその家族、捜索者たちの苦悩等々については、「死」をタブー視する日本にあって、なかなか記述しにくいものがあるのでしょう。私が読んだものとして衝撃を受けたのは、あの日航機墜落現場からの報告書くらいでした。
 ところが今回『遺体』という題の本が新潮社から出て、ルポなどを手がける石井光太氏が克明に描写し、遺体捜索に関わった方々からの生の声を集録しています。極めて残酷と思われる場面が多くあり、被害に遭わなかった私たちでもこれから考えさせられる事が幾つかありました。いつそうした事態に私たちも遭遇しないとは言えない今、やはり平素の生き方という事を肝に銘じておかなければと思いました。
 まず津波被災地の主体である岩手県釜石市で見ると、ネットの今年3月の情報では、死者・行方不明者の数は1,046人となっています。昨年3月の津波発生時点では、この本にあるように遺体安置所となった釜石第二中学校(廃校になっていた)は、まさに修羅場という言葉がぴったり当て嵌まります。40体以上の遺体が運び込まれ、そこでは検死する警察官、身元確認の有力な決め手となる歯を検案する歯科医、次々と遺体を運び込む市の職員、葬儀社の人々などが入り乱れ、隙間もないほどぎっしりと置かれた遺体のそばを右往左往しています。それが100体にもなると、もう平常の心でゆっくり作業する事が不可能になって来ます。皆体力の限界まで働き詰めになります。通常3〜4体くらいを処理する事で成り立っていたのが、全く機能不全に陥ってしまいます。検死・検案で身元が分かった人の場合、今度は葬儀社の人が、硬直した腕などを折れないよう慎重に緩め、棺に入れて運び出し、火葬場に搬送しますが、この遺体の数でそれがパンク状態になるのです。棺が足りない、ドライアイスがない、火葬場の処理能力を遙かに越えてしまうといった事態が出現します。
 さらに知らせを聞いて駆けつけて来た遺族たちへの対応も難しくなります。突然の死に直面し、狂気のように泣き叫びわめく人々、冷静に亡くなった人に別れを告げる伴侶の人、様々ですが、対応する人々も涙を抑え、諸々の感情を押し殺してやってゆかなければなりません。
 私が付箋を置いたのは、こうした遺族の方々の対応の仕方が書かれている箇所です。
 人は皆生きてきたように死んで行く他なく、こうした現場では平素他の人々の事を顧みなかった人、死の事を考えその準備をして来なかった人ほど、極端な自己中心になります。
 安置所が満杯で、仮置き場に放置された遺体の事で、職員に怒鳴り散らす人、作業終了で体育館を閉鎖すると言っても、そこに留まろうとする遺族、別の場への搬送が不可能なのに、運び出すと言い張る遺族、遺体の清拭などが出来ないのに無理に頼み込む遺族、決められた火葬の順番を覆そうとする遺族等々。気持ちはよく分かりますが、時にはあまりの身勝手さ、自己中心さに、私としてもつい憤慨してしまいました。
 聖書のヨブもそうした辛い経験の「第一波」を経験しました。
 「ある日、彼の息子、娘たちが、一番上の兄の家で食事をしたり、ぶどう酒を飲んだりしていたとき、使いがヨブのところに来て言った。『牛が耕し、そのそばで、ろばが草を食べていましたが、シェバ人が襲いかかり、これを奪い、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。』この者がまだ話している間に、他のひとりが来て言った。『神の火が天から下り、羊と若い者たちを焼き尽くしました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。』この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。『カルデヤ人が三組になって、らくだを襲い、これを奪い、若い者たちを剣の刃で打ち殺しました。私ひとりだけがのがれて、お知らせするのです。』この者がまだ話している間に、また他のひとりが来て言った。『あなたのご子息や娘さんたちは一番上のお兄さんの家で、食事をしたりぶどう酒を飲んだりしておられました。そこへ荒野のほうから大風が吹いて来て、家の四隅を打ち、それがお若い方々の上に倒れたので、みなさまは死なれました。私ひとりだけがのがれて、あなたにお知らせするのです』」(ヨブ1:13−19)。
 ではヨブは若いしもべたち、愛する息子、娘たちの死に直面し、その災害を、そして信仰している神を呪ったでしょうか?いいえ違います。
 「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ1:21)。
 「第二波」で全身悪性の腫物に打たれたヨブは、神ではなく、自分の生まれた日を呪ったのです。
 ヨブの過酷な試練は続きましたが、最後に彼は後半生で前よりもっと神の祝福を受け、長寿を全うして天に召されました!
 私たちは他人を大いに困らせる自己中心的な生き方から、神中心の生き方に変えられたら、試練の中でも磨かれた人生を送り、祝福を受けて生涯を閉じる事になるでしょう。