ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

両国探訪1

 2012年6月11日JR常磐線で上野まで出て、山手線から秋葉原で乗り換え、総武線で両国まで行ってみました。初めての事です。幾つか見るべきところがありましたが、今回はまず南口を下りてまっすぐ南に進み、回向院というところに行きました。
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 ちょうど大きな葬儀があり、霊柩車の出る直前で境内は混んでいました。そこをすり抜け奥に行くと、力塚の碑があります。

これは勧進相撲が1768年からがこの境内で行なわれた事を記念して、昭和11年に建てられたものだそうです。ネットの情報では明治42年に旧両国国技館が完成するまで、実に76年間にわたり、ここで相撲が続けられたとありました。なおその発祥の地は、前のブログで訪問した事のある富岡八幡宮で、1684年の事でした。
 そして新しい両国國技館(二代目)は、そこから歩いて駅の北側に行きますと、すぐ目の前にあります。戦後大相撲が行われていたのは台東区の蔵前でした。それは1984年に閉館し、1985年から両国に移りました。落成式の日に横綱千代の富士と北の海による三段構えが披露されたと、ウイキペディアにありました。その新國技館が完成する前は、そこの敷地は日大に譲渡され、日大講堂として使われていたとの事です。その名前ですぐ思い出したのが、日大闘争が盛んだった1968年に、全共闘議長の秋田明大氏と大学の古田理事長との間で行われた団体交渉でした。そうかあの緊迫した場面がこの敷地で展開されていたのかと、感慨を新たにしました。
 この國技館重厚な造りですが、ウイキペディアにあるように空からでないと全貌が分かりません。私のデジカメで撮影したのは以下の部分だけです。

 この相撲ですが、聖書にも相撲は登場します。文語訳で「角力(=ちからくらべ)す」という場面が、創世32:24−32にあります。そこではイスラエルの族長の一人ヤコブが、神のつかいと夜通し格闘しました。ヤコブは祝福を求めて執拗にこの神のつかいと相撲をとりました。その為神のつかいは「根負け」し、次のように言いました。
 「その人は言った。『あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ』」(創世32:28)。
 ここで初めてヤコブの新しい呼称である「イスラエル」が出て来ます。正しい発音はイスラーエルで、アクセントがエルにあります。そしてこのエルとは神のもう一つの名前です。イスラーは「サーラー」というヘブル語動詞の変化形で、原形は「格闘する」「もみあう」等々の意味があります。相撲をとるでも構いません。これこそ現在のイスラエルの言葉の由来です。その国は小さいですが、人々はこれまでアラブ諸国と争ってきて「自信」を持っていますが、この創世記の逸話を知っているからでしょう。