ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

電子機器の廃品から宝回収出来るのか

 2012年8月18日の朝日新聞に、「電子廃品 炎で宝探し」という題の記事がありました。
 載っていた写真は、インドでパソコンなどのプリント基板などから出た破砕くずを炉で溶かし、型に流し入れて合金を作る場面でした。男たちが手作業でそれを行っていました。特にインドのモラダバード市の全体がそうした処理工場となっています。

 現代ではパソコン、携帯、テレビなど廃品となった電子機器などを、再度リサイクルしようとする動きが、特にアジアの国々で盛んです。
 しかしそれは大きな工場での自動的な処理ではなく、バーナーや小型の炉を用いての作業となっており、その過程で出て来る毒性の強い物質で、健康を害する人々が多くいるようです。そこで欧州などではそうした有害な作業への規制をかける動きが進んでいますが、東南アジアでは、ひたすら儲ける事ばかりで、健康の事を顧みていないようです。
 その工程は朝日によると、まず緑色の金属基板をガスバーナーの強い炎で焼いて、ハンダを溶かし、電子部品をそぎ落とします。するとコンデンサーからはアルミニウムと鉄、端子からは金が採れます。さらにこの基板も焼き砕き、金属部分をより分けます。灰に含まれる金属も川で回収します。そうした回収物を溶鉱炉に入れて、銅の合金の延べ棒にします。朝日の写真にあったのは、ちょうどその炉から取り出した合金の延べ棒でした。
 よくまあこんな根気の要る仕事を続けていると感心しましたが、同時にその作業に携わっている人々の健康が案じられました。しかし業者は全く気にもしておらず、規制案を無視しているようです。
 モノを大切に長く続けて使うという「風習」がない日本では、毎年次から次へと電子機器の新製品が発売されます。古いものへの愛着があっても、壊れてしまったら、修理をするより買ったほうが安いという不合理な仕組みになっています。そうしたやり方は資源の無駄遣いで、もういい加減にしてほしいと願っているのに、電気関係の企業は一向に方向転換しようとしません。
 ですからそうした電子製品に組み込まれるレアメタルなどを求めて、海に進出し、国際的な紛争を引き起こしつつあります。
 私たちは先ごろのロンドンオリンピックで、各選手が金・銀・銅メダルを求めてその力を競っている場面を観たばかりです。しかしそうした金属が、いかにその鉱山の労働者たちの健康を害しているか、という事までは、思いを馳せる事がありません。また原発事故があったにもかかわらず、相変わらずウラン鉱山では危険な仕事が進んでいます。
 貧しい労働者が体を蝕まれながらも、仕事を続けているのに、その実は大手企業や銀行の金庫などに収まり、ますます経済格差が広がる一方です。
 では聖書ではどんな事を言っているでしょうか?
 「しかし、おまえの上に再びわが手を伸ばし、おまえのかなかすを灰汁のように溶かし、その浮きかすをみな除こう」(イザヤ1:25)。
 「銀から、かなかすを除け。そうすれば、練られて良い器ができる」(箴言25:4)。
 これを見ますと、聖書の時代でも不純な金属を炉で溶かし、不要な浮きかす、かなかすを除いていた事が分かります。
 勿論それは譬えであって、神はご自分の民をきよめる為にそれを用いられました。信徒は地の塩、世界の光として、練られた品性を身に着ける必要があります。不純なもの、古い罪の性質が残っていてはなりません。
 翻って金儲けの為に必死な労働者たちは、罪の性質で満ちています。神の炉でそぎ落として頂く必要があります。