ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

領土問題を聖書から考えると

 ここしばらく尖閣諸島を日本が国有化宣言した事に対する中国の反日デモが激化の一途を辿っています。それをどう解決すべきか、いろいろな人々がいろいろ発言しています。そうした中、2012年9月11日神戸女学院大学名誉教授の内田樹氏の「私の紙面批評」は、本質を衝いた論考となっています。

 冒頭から少し抜き書きします。「第一は領土問題の解決方法は二つしかないということである。一つは戦争。勝った方が領土を獲得する。もう一つは外交交渉。双方が同程度の不満を持って終わる『五分五分の痛み分け』である」。
 実際その通りだと思います。この尖閣諸島の海底資源は豊富だと言われ、それを得る為に中国が武力を行使して侵略するなら、戦争になります。日本は戦前近隣各国に対して侵略戦争を行い、自国他国の多くの軍人や民間人を殺傷した末、米国やソ連の介入で終止符が打たれました。そして平和憲法が発布されたわけですが、その第九条をおさらいしておくと、「一項『日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する』、二項『前項の目的を達するために、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない』」となっていて、国際紛争(現在で言えば中国との、或いは韓国との)を解決する手段として、武力(現在は自衛隊がそうした武力を持っています)を行使してはならず、永久に放棄する事になっています。
 ですから過去の苦い戦争に懲りない政治家たちは、この憲法の九条を変えようと躍起になっています。
 次に来るのが外交交渉です。尖閣諸島については、9月3日の朝日新聞によれば、日本側は1895年当時の明治政府が自国領として、正式に沖縄県に組み入れたとなっています。一方中国側としては、尖閣諸島は釣魚島と呼ばれ、「中国人が最も早く発見し、命名、利用してきた」と主張しています。その証拠に1403年には早くも「釣魚台」の名前が見え、16世紀の鄭若曾著『琉球図説』の「琉球国図」に、「釣魚嶼」が描かれています。

 それから後は米国も加わり、中国が沈黙中の1972年に、沖縄返還の際、尖閣諸島も日本に返還されました。ところがこの70年以降になって、中国が自国領だと強力に主張し始めたという事ですから、日本と中国は真っ向から衝突します。でも日本は武力を行使するわけにゆきませんから、外交交渉という事になります。これは韓国、北朝鮮側で「独島」として領有権を主張している竹島問題も同じです。
 そこでややこしくなるのが、内田氏の言うように、この交渉が二国間ではなく、「見えない当事者」米国との三国間問題に進展するという予測です。
 いずれにせよ、この交渉は日本も中国もそれぞれ誠意を尽くして交渉に臨み、平和的に解決する、内田氏の言う「五分五分の痛み分け」に持って行くのが一番好ましいわけです。
 そうした事を考えながら、では聖書の基本原則は何かと言いますと、申命記19:14などが参考になります。
 「あなたの神、『主』があなたに与えて所有させようとしておられる地のうち、あなたの受け継ぐ相続地で、あなたは、先代の人々の定めた隣人との地境を移してはならない」。
 そうです、私たちは「先代の人々の定めた隣人(隣国)との地境を(勝手に)移してはならないのです。それからすれば、尖閣諸島に関しては、どうも中国側の見解が正しいような気がします。
 またソロモン王の知恵によれば、列王第一3:16から出て来る子供の所属問題があります。二人の遊女がほぼ同じ時に子どもを産み、一方の女が夜一方の子どもの上に伏して圧死させてしまいました。双方が死んだ子はあなたの子だと主張して譲りませんでした。そこでソロモン王は生きている子どもを剣で二つに断ち割り、半分づつそれぞれが取りなさいと命じました。すると生きている子の親がその子を憐れみ、相手の親に譲る事を申し出ました。それを見たソロモン王は、この親こそ生きている子どもの親に違いないと裁決したのです。大切な問題で双方譲れないところを、一方が譲歩したという事です。それは生きている子どもに対する愛情、哀れみが決め手になりました。
 尖閣諸島竹島も、こうした精神で平和裏に解決するのが一番望ましいでしょう。その場合に話し合いで二つに分割するという手もあるという事です。