ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

レイチェル・カーソンの『沈黙の春』から50年

 2012年9月27日のハフポストサイトでは、上記の題で記事が書かれていました。
 それによりますと、この27日で『沈黙の春』から50年経過しました。この本は多くの人々に読まれ、アメリ環境保護運動の曙となりました。しかし現在、気候変動に対する何らかの行動を阻止する意図のデマ情報、誤った導き、それに厭世的傾向といった暗雲が出現し、ずさんな管理の汚染物質を止める為のカーソン流の声高な行動要求が、再び始められています。

  『沈黙の春』は殺虫剤が住民の健康や環境にもたらす脅威を、注意深く、首尾一貫して詳述しました。DDT(*(ジクロロジフェニルトリクロロエタンの略語。殺虫剤として第二次大戦前後から頻繁に使用されるようになり、戦後日本でもノミシラミ対策として、よく頭から振り掛けられました)のような化学物質が、鳥の鳴き声もしない春をもたらした事から、私たちが直面する危険に対するぞっとするような警告の書となりました。
 しかし公害をもたらす企業は冷淡でした。性差別主義から、彼女の事をヒステリーと呼び、研究の過大評価だと非難しました。一つの殺虫剤メーカーは、彼女がソ連の回し者だと示唆し、出版社を訴えると脅しました。
 けれどもカーソンの主張は徐々に浸透し、立場は逆転しました。彼女は殺虫剤の禁止を唱えたのではなく、その危険性を良く承知しておいた方がよいと言っていました。勿論他の有害物質、特に人工放射能についても、既に触れていました。
 そして50年後、殺虫剤製造を含む公害企業は再び攻勢に転じました。疑惑・否定・先延ばしの戦略で、気候科学者たち等を責めました。
 けれども地球温暖化、洪水、竜巻、ハリケーンなど異常気象が多発し、科学者たちの主張の正しさは証明されました。公害企業の戦略は挫折したのです。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』は、人々を大いに啓蒙しました。
 その中に殺虫剤による生物や自然の大破壊について述べられた箇所があり、彼女はこう言っています。
 「いちばん的確に野生生物の損失を発見し解釈できるものはだれかといったら、言うまでもなく野生生物を専門に研究している生物学者たちである。昆虫学者は、こういう方面の研究を十分に積んでいず不適任で、防除計画のこのこのましくない反面に目をつぶるくせがある…いちばん手におえないのは中央政府や州政府関係の防除専門家で、生物学者の報告する事実を頭から否定し、野生生物がいためつけられている証拠などない、と言って頑張る(化学薬品製造学者にいたっては、あらためて言うまでもない)」「聖書に出てくる司祭とレビ人と同じで、わざと反対側ばかり通って、何も見ようとしない…」。
 この聖書の箇所はルカ10:30〜32にあります。
 「イエスは答えて言われた。『ある人が、エルサレムからエリコへ下る道で、強盗に襲われた。強盗どもは、その人の着物をはぎ取り、なぐりつけ、半殺しにして逃げて行った。たまたま、祭司がひとり、その道を下って来たが、彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った』」。
 この強盗に襲われた人を助けたのは、司祭(*祭司)やレビ人らと対立していたサマリヤ人でした。彼は被害者の真の隣人でした。
 この構図今の政府・東電・御用学者たちの対応と似ていませんか?震災被害者の真の味方は彼らの目の上のたんこぶである、京大の今中、小出氏らや民間の槌田氏ら等々の少数派です。