ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

海水注入のためらいは誰が?

 2011年3月11日の福島原発事故については、いろいろな調査報告やドキュメント、ビデオによる公開などが既に出ており、事実は一つであるにも関わらず、なお見解の一致がありません。その原因の大半は東電による事故隠しでしょう。
 その11日の津波により全電源が喪失した為、原子炉のある圧力容器に、電気で動くポンプで水を送り込む事が不可能となり、空焚きにならないよう、とにかくどんな水でもよいから注入しなければならなくなりました。
 ここで主として国会事故調査委員会の報告書を基に、1号機に限定して流れをざっと見ておきますと、11日晩には既にメルトダウンは生じており、翌12日0時6分に吉田所長がベントを準備したものの、ただちに実施出来ず(ベントの配管損傷の為?)、6時50分海江田経産大臣がベントを命令し、14時30分にベント(本来圧力容器に取り付けられた排気弁、排気ラインを指すそうですが、広い意味では原子炉圧力容器内の気体を外部に放出し、圧力を下げる作業とも言えます)が行われました。それによって膨大な放射性物質が大気中に放出されました(ベントの排気弁にフィルターがついていなかった為)。14時53分淡水注入が枯渇で不可能になり、1分後吉田所長が海水注入を指示しました。ところが15時36分に原子炉建屋が水素爆発しました。そんな事があって19時04分にやっと海水注入が開始されました。その直後ですが、官邸にいた東電の武黒フェローが管首相の指示を受けていないので(という余計な慮りで)、一旦海水注入を中止せよと独断で命じました。それを受けて東電の清水社長も19時25分に海水注入中止を指示しました(実際には吉田所長は継続させていました)。19時55分管首相は海水注入を了解しました。左図は武黒フェロー(当時)。

 その後東電側では武黒フェローの中止命令を、管首相の中止命令にすり替えて、炉の健全性が損なわれたという被害者意識を持つようになり、管首相に対する敵愾心が生まれ、後の管おろしに繋がったそうです(大鹿康明『メルトダウン』より)。
 さらに3号機の危機の後、2号機でも海水注入の際、東電側(人物不詳)は「いきなり海水っていうのはそのまま材料が腐っちゃったりしてもったいないので、なるべく粘って真水を待つという選択肢もあると理解していいでしょうか」と語っていた事が、12年8月8日に公開したテレビ会議の映像で判明しました。
 そこで京大の小出助教は「多額のお金をつぎ込んで作り上げた一大資産、ひとたび稼働すれ多大な利益を生む資産…への未練をなかなか断ち切れなかったことが、海水を注入する決断の遅れにつながった」と推測しています(『この国は原発事故から何を学んだのか』)。
 これはまさに聖書のソドム・ゴモラといった「よく潤っていた土地」への未練から、町の全滅で資産を失う事への未練を抱いたロトの妻の死を思い起こさせます。
 「そのとき、【主】はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を天の【主】のところから降らせ、これらの町々と低地全体と、その町々の住民と、その地の植物をみな滅ぼされた。ロトのうしろにいた彼の妻は、振り返ったので、塩の柱になってしまった」(創世19:24−26)。
 住民のいのちよりも、原子炉を廃炉から守る事を優先しようとした東電の姿勢には限りない怒りを覚えます。ロトの妻のようにその関係者は、主によって裁かれるでしょう。