ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

松戸市の電燈敷設記念碑を訪ねて

 松戸市で新聞をとっていると、広告にミニコミ誌「うきうき」(英語です)が、毎月入ります。そこに「石碑めぐり」という欄があり、その9回目が面白そうなので、行く事にしました。
2012年11月29日、私は自宅のマンションから自転車で20分位、新松戸駅からですと、西2・5キロの江戸川左岸に近い田んぼに、「稲荷神社」を訪れました。

 神社は私のようなキリスト教徒には、あまり関係がないのですが、この小さな神社には幾つか石碑が立っていて、その一つが「六和電燈敷設記念碑」というものです。

 六和とは六つの新田の事です。江戸時代この江戸川に面した低湿地帯で新田開発が盛んに行われたようです。勿論目的は幕府の年貢増徴で、松戸は格好な標的地となったそうです。
 ただこの六つの新田ですが、当時どの新田が六つだったのか、ネットで調べて見てもはっきりしません。ミニコミ誌と実地見学では、この石碑が立っている所が主水新田である事が分かります。そして他に七右衛門新田、大谷口新田の三つが掲載されています。
 しかし違う情報もあります。やはりネットで調べて見ると、「高塚新田、串崎新田、高柳新田、田中新田、松戸新田、主水新田、七右衛門新田が現存するが、紙敷新田、伝兵衛新田、九郎左衛門新田、三村新田、大谷口新田などは新しい住居表示に変更された」とありました。ですから当初の六つの新田の特定は出来ず諦めました。
 江戸時代勿論電気はありません。農家は行燈の灯りで夜なべ仕事をしていました。農作業はあまりはかどりませんでした。
 この村での電気敷設ですが、上記記念碑に記されているところでは意外に遅く、大正12年2月に工事が開始され、同4月20日に点火式を行ったそうです。その他碑文には祝賀会、費用の調達方法、電灯会社との取り決め、関与した人々の名前が記されていました。事細かく、判読には苦労しました。
 総工費は15,298円、現在の物価では6,000万円以上に相当するそうです。また碑文には「地域にある七つの鎮守への電気代金を永久に寄付する」といった文言もあるそうです。何だか東電の寄付行為に似ています。
 そんな事があって、やっと電気が来たので、農民たちは大いに喜んだ事でしょう。ミニコミ誌では「90年ほど前の電灯敷設は地域の人々にとって大きな希望の光だったのでしょう」と記していました。
 行燈ですが、その中央に火皿をのせる台があり、石もしくは陶製の皿に油を入れ、木綿などの灯心に点火して使用したそうで、油は専ら菜種油だったそうです。ウイキぺディアでは電球の50分の1ほどの明るさしかなったそうです。ですから暗くなれば寝るというのが大半の零細農家の生活様式だったと思います。
 聖書の時代でも同じで、「ともしび」の事は頻繁に出て来ます。
 「それにともしび皿を七つ作る。ともしび皿を上げて、その前方を照らすようにする」(出エジプト25:37)。
 既に幕屋建設でともしび皿が作られていた事が分かります。これが夜のあかりとなりました。しかし聖書では霊的な意味でも用いられています。
 「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」(詩119:105)。
 「もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、彼らにはともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは永遠に王である」(黙示22:5)。