ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

男同志の熱い友情

 ダビデがサウルと語り終えたとき、ヨナタンの心はダビデの心に結びついた。ヨナタンは、自分と同じほどにダビデを愛した」(サムエル第一18:1)。
 ヨナタンイスラエルの最初の王の息子でした。ダビデイスラエルの敵であるペリシテ人との戦いで、その先頭に立つ巨人ゴリヤテを倒して、その勇敢さを示しましたが、その時ヨナタンダビデと一つ心になりました。彼は「自分と同じほどにダビデを愛した」とありますが、これは同性愛の事ではありません。男同志の熱い友情で結ばれたという事です。それは終生変わる事なく、友人という貴重な人物の事を私たちに教えています。
 ところでブログで堀辰雄の事を書いた時、ブログ仲間のsatosukeさん(http://d.hatena.ne.jp/satosuke-428125/)から、やはり同じ著者の『もゆる頬』を読む事を勧められ、図書館で借りて読みました。

 堀氏は1904年生まれ、府立三中(現都立両国高校)から第一高等学校へ入学、寄宿舎に入りました。勿論入学した生徒たちは全員男であり、日本全国から最優秀な中学生が集っていました。
 『もゆる頬』はその寄宿舎での生活がヒントになっていると思われます。
 主人公の「私」は五月に他の部屋から転室して来た「三枝」という同級生と知り合いになります。彼は「痩せた、静脈の透いている見えるような美しい皮膚の少年だった。まだ薔薇色の頬の所有者、私は彼のそういう貧血性の美しさを羨んだ」とあります。「私」は三枝に惹かれます。そして「私と三枝との関係は、いつしか友情の限界を超え出したように見えた」とある程の関係まで進んでしまいました。
 夏休みに入り、「私」は「三枝」と一週間ほどの旅行に出ました。その時の事ですが、二人は村の娘たちと出会いました。そのうちの一人に「私」と「三枝」は魅了されました。そこでまず「三枝」が彼女に声をかけました。そして次は「私」でしたが、魚籠の魚は何かといったたわいもない質問をした時、娘たちはどっと笑いました。「私」は思わず顔を赤らめましたが、「三枝」の顔に「意地悪そうな微笑が浮かんだ」のを見逃しませんでした。
 その瞬間「私」は三枝に「一種の敵意のようなものを「感じ出した」のです。
 あいにくの天候で二人は旅を途中で中止し、乗合馬車で、また電車で「私」は三枝との一戦を超えた友情に対して、「愛の休止符」を打ちました。
 それから程なく「三枝」は再発した脊椎カリエスの悪化で亡くなりました。
 この小説、同性愛的なものから一変し、敵意へと変わってしまった事が、短い文章から見出せます。世の友情とは何かを契機として崩れる、脆いものです。ところで米国最高裁同性婚の合法性について、12月7日本格的に検討を始めましたが、いったいどうなる事でしょうか。米国の病弊の一端をそこに見ます。
 上記ダビデヨナタンの友情はずっと変わりませんでした。主なる神を愛する二人は、私たちにその模範を示したと言えるでしょう。