ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

神戸ルミナリエの最初の目的

 「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた」(ヨハネ1:9)。
 まことの光とはイエス・キリストの事です。

 2012年12月7日の朝日新聞夕刊に、「光の絆 神戸ルミナリエ開幕」という題の記事がありました。

 12月の6日に始まったこの行事、当初の目的は1995年1月17日生じた阪神・淡路大震災の犠牲者(*ネット情報からは6434人)の「鎮魂と追悼」であり、また潰れた町々の復興を祈り、神戸の中心に観光客が戻って来る事でした。
 2012年はその18回目、12月6日から17日までの12日間開催され、おそらく350万人ほどが訪れたでしょう。イタリアから約20万個の電球が運ばれ、光の装飾が冬の夜空を照らしました。時間は日によって違いましたが、夜間3〜5時間点灯されました。
 確かにそうした催しは津波原発事故のなかった阪神・淡路の事だったので、可能だったのです。
 しかし今回の主催者側の意図としては、上記の事柄に「神戸から東日本の被災地へ、犠牲者の鎮魂の祈りと復興支援のエールを送る行事として開催する」という項目が加わりました。そしてそれを受け、今年のテーマとしては「光の絆」という事になったそうです。
 一方大きな津波災害で大きな被害を受けた石巻市の大川小学校では、ささやかなクリスマツツリーが点灯しました。訪問者は少なく、NPOのメンバーの一人は、「灯りの分だけ、遺族の気持ちがあたたまってほしい」と言っていました。

 私はこれらの記事を見ながら、少なくも東京圏ではこうしたイルミネーションは自粛すべきである事を、ブログのコメントで書きました。福島の電力が主として東京に供給され、福島はその恩恵を受けていませんでした。そこへ原発事故で今度は見捨てられようとしています。こういう状況で又もや美しいというだけで電力を贅沢に消費するのは、もう福島を忘れたような意味合いになるからです。別に他人を責めませんが、苦悩している福島県人、難民化している福島県人、差別されている福島県人を前に、私はとてもノー天気で礼賛する気にはなれなかったのです。しかも状況が全く違うのに「絆」なんて言葉を安易に出して来るのも、感覚的に違うと思いました。
 一方以前にも記した事のある朝日の5アンペア生活を始めた記者の「越冬編」が昨年12月28日に載っていました。実にすごい節電生活です。私たちには到底無理と思えた冷蔵庫のコンセント、寝る前に抜いてしまうのです。これが意外と問題ないそうです。全く想定外でした。それにつられて外出時はブレーカーを落としてゆくそうです。この2つだけでも節電効果はみるみる顕われて来ました。12月で僅か5キロワット時、226円だったとの事です。さらに記者は完全自給の為に創意工夫を重ね、実現させようとしています。
 私たちが東電を告発するなら、自らも襟を正して普段から節電の工夫をしてみるべきではないでしょうか。