ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

恒例の箱根駅伝

 「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただひとりだ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい」(コリント第一9:24)。

 正月恒例の箱根駅伝が今年も天気に恵まれて無事終了しました。日体大が30年ぶりに総合優勝しました。
 私は十数年前まではテレビを持っていたので、このマラソンを興奮しながら見ていたものです。しかしそれを廃棄したので、報道だけではあの熱気が伝わって来ません。残念ですが、とにかく年中忙しくて、たとえあっても見る時間は限られるでしょう。

 私のブログを閲覧してくれている方々の中でも、マラソンに挑戦している方々が結構おられます。なぜ走るのでしょうか?
 2013年1月3日の朝日新聞記者は、40年の歴史を持つホノルルマラソンを記事にしていましたが、「走る喜び無限大」という見出しがありました。このマラソンは競技ではありません。ですから老若男女誰でも参加出来ます。そしてこれを企画した医師は、「長距離をゆっくり走ることは心臓病予防に効果的」と言ったそうですが、そのように途中苦しくても、また歩く事があっても、とにかくゴール目指して完走したという事が、大いなる喜びと自信に繋がるからでしょう。また走行中に「脳内麻薬」と呼ばれるβエンドルフィンという物質が分泌され、それが走る快感を増幅している事も知られています。
 そのようにマラソンに参加し、また熱心にそれを見ている人々が多いのですが、一体いつから日本ではそんなマラソンが始まったのでしょうか?昨年12月21日の朝日新聞に、最初の駅伝レースは1917年(大正6年)に「東海道駅伝徒歩競争」から始まったとあります。その時の参加チームは関東組の高等師範、旧制一高その他、関西組は旧制愛知一中でした。京都の三条大橋を出発点として、4月27日から29日までの3日間、23区間500キロの過酷なレースとなったようです。その年は首都移転50周年を記念しての博覧会が上野の不忍池で行なわれ、駅伝もそれを記念したイベントだったそうです。

 ですから三条と不忍池に同じ駅伝の碑が建っています。私は4日午後思い立って上野のその碑を見に行きました。冷え込みが厳しい日でしたが、目的のものはすぐ見つかりました。台東区ではこの不忍池の通路で、毎年「ジュニア駅伝」が行われ、小学生から中学生まで多くの子どもたちが参加しています。

 私は不忍池を一周し、冷えた身体を温める為、池之端3丁目に「水月ホテル鴎外荘」を訪れました。森鴎外がかつて住んでいた所で、ホテルには彼の絵書史などが展示されており、舞姫などを書いた部屋(舞姫の間)がホテルと接続する形で残っていました。

 温泉で温まってから、すぐ常磐線で帰宅しました。上野にはまだまだ見るべき所があります。主要な目標は動物園のパンダを見に行く事です。