ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

音楽にできること

 「私たちふたりの上に手を置く仲裁者が私たちの間にはいない」(ヨブ9:33)。
 「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます」(ピリピ3:20)。
 
 2013年1月8日の朝日新聞に、ピアニストであり指揮者でもあるダニエル・バレンボイム氏が登場していました。

 この人名前からすぐユダヤ人と分かります。実際1942年アルゼンチンのブエノスアイレスで生まれたロシア系ユダヤ人です。1952年にイスラエルに移住し、現在国籍はイスラエルとなっています。
 このイスラエルに移ってから、本格的なピアニスとしての活動が始まりました。ですから私も氏のピアノの演奏はFMなどで聴いた事があります。
 1966年になってから、指揮者としてのデビューも果たしました。そして現在はその指揮者としての活動が主体ですから、めったにピアノ演奏は聴けません。このあたりは父方がソヴィエト連邦在住のユダヤ人であるウラディーミル・アシュケナージ氏と経歴が似ています。やはり最初ピアニストとして有名だったわけですが(私は彼のファンで結構多くのCDを持っています)、やはり1970年頃から指揮者としての活動を始めています。
 バレンボイム氏の前の妻はジャクリーヌ・デュ・プレ、やはり有名なチェリストでした。彼女は多発性硬化症の為早逝しましたが、ショパンチェロソナタなど、なかなか優れていたと思います。
 そしてバレンボイム氏を有名にしたのが、2001年エルサレムイスラエル音楽祭にベルリン国立歌劇場管弦楽団を率いて入国、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の一部を上演した事です。ご承知かもしれませんが、ワーグナーを好んだのがナチス・ドイツヒットラーでした。そのホロコースト(虐殺)から生き残ったユダヤ人たちがイスラエルに移住しました(ネット情報では2005年で17万人)。ですからこのワーグナーの演奏は物議をかもし、拍手とブーイングが入り混じったと言われています。
 バレンボイム氏は音楽家としては珍しく、母国のパレスチナ迫害を批判し、積極的にパレスチナ人を擁護しました。その背景にはパレスチナ出身、米国で文筆活動を行ったエドワード・サイード氏との親交がありました。この人はまた大江健三郎氏との付き合いもあった人で、代表作は『オリエンタリズム』、初めて西洋による東洋の人種主義的、帝国主義的思考を徹底的に批判した事で知られています。サイード氏も古典音楽に造詣が深く、この本来なら対立する二人が組んで、音楽を通して対立する両者を結びつける事が出来ないかどうかを模索しました。朝日記者によると、イスラエルパレスチナの人々が「話を聞く態度を持つことがすべての一歩であり、その一歩を築く力になれるのが音楽なのだ」という事になります。サイード氏は残念ながら2003年がんで亡くなりました。その遺志をバレンボイム氏は受け継いでいます。ですから氏はイスラエル国籍でありながら、世界各地に足場を築き、「故郷は音楽のみ」と言ってはばかりません。朝日記者が問題解決の為に政治的発言も必要ではないかと問うたのに対し、「それは違います。音楽は音楽以外の目的に利用されてはならない。音楽こそが、あらゆる異分子を調和へと導く希望の礎です」と、現在の観点を明確に述べています。
 右図はエル・システマベネズエラで始まった無料の青少年向けクラシック音楽教育システム。
 しかしそれにもかかわらず対立する両者がますますそれぞれの言い分に耳を傾けなくなった現状で、「政治家は愚かだ」と声を荒げて言ったそうです。
 音楽というものはどのジャンルであれ、人間同士を結び付ける不思議な力があると思います。ですからバレンボイム氏も「音楽を通じて社会を知ること。それを子供たちに教えること」に関心を抱き、若者たちで言うと、イスラエルアラブ諸国から演奏家を募り、ウェスト=イースタン・ディヴァン管弦楽団を結成した事でも知られています。
 イスラエルパレスチナの敵対関係、それを解決する一助としての音楽、今後もイバラの道を歩きそうです。新約時時代救い主イエス・キリストは両者を結びつけられましたが。