ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

原発事故の時、米国は日本より遥かに多くの情報を手にし、危機意識を持っていた

  「隠れているもので、あらわにならぬものはなく、秘密にされているもので、知られず、また現れないものはありません」(ルカ8:17)。 
 朝日新聞連載の「プロメテウスの罠」は、原発事故の際隠されていた事を露わにし、私たちを驚かせています。
 今回は「日本への不信」という項で、16回にわたる連載が終了しました(1月3日から始まりました)。
 私はこの記事から驚くべき事を多く学びました。
1.米国及び米軍は福島第一原発事故の詳細を正確に把握していた事。事故後数か月してから、静岡茶の汚染が報じられ、放射能がそこまで届いたかと驚いていましたが、300キロ離れた米国海軍横須賀基地では、3月15日放射能を検知し、警報が鳴りました。それで米軍は直ちに女性と子どもを基地から退避させました。この安全措置は原子力空母を保持している米海軍の厳密な管理によるものでした。そこで通報を受けた米国政府は、オバマ大統領やマイケル・マレン統合参謀本部議長らが深刻な協議を始めました。その1日前の14日には1号機、3号機の爆発よりも、4号機の核燃料プールが一番危ない事を把握していました。そこの1535体の核燃料は、もしプールの水がなくなると、メルトダウンが始まり、膨大な放射能が飛び散り、影響が日本全土に及ぶ事を正確に掴んでいました。
 ですから米政府は駐米大使藤崎一郎を通し、外務省に極秘公電を打たせています。しかし日本では外務省も管首相も、切羽詰まった状況認識に全く欠けており、「電力会社内部の事故」としか捉えていませんでした。ですから米国は苛立ちました。
 しかしその後16日放射線は東京まで届かないという事を、米原子力規制員会とエネルギー省は、スーパーコンピューターで計算して弾き出した為、当初私たちが大袈裟と考えた「原発80キロ圏内の米国民の避難勧告」へと変更されました。
2.米国務次官補のカート・キャンベルによる「日本政府が真剣に対応していない」という非難が、藤崎に伝えられました。問題は東電ではなく、日本国家の事だと。そしてその対処に数百人の決死隊による犠牲的突入が不可欠との事でした。しかしこの会談では公電を打った藤崎とキャンベルが再会談しましたが、内容は日本政府が何一つ動こうとしないという非難の続きでした。米国務省ではそれを「まるでメチャクチャ」と報じました。

3.こうした米国の警告を受けまず動いたのは北沢防衛大臣でした。彼は事態の深刻さを受けて、自衛隊に放水させる決断をしました。でも高い放射線の中での作業、北沢は若い自衛隊員の事を気遣いました。しかし統合幕僚長の折木良一が覚悟を決めて案を作らせる事にし、管首相は了解し、直ちに命令を下しました。この案は第一ヘリコプター団群長の大西正浩が作成しました。低空で停止し放水すれば狙いを定めやすいが、被曝量は多くなります。ヘリの移動で何とかそれを防ぐしかありません。でも実際ヘリが16日飛び立った時、原発上空の放射線量は、高さ30メートルで毎時247ミリシーベルト、作業限界値を越え放水は見送られました。ただこの時懸念されていた4号機のプールに、水が十分ある事が確認された為、作戦は3号機に移りました。16日夜大西は翌日放射線量の如何に関わらず放水せよとの命令を受けました。17日朝ヘリ3機が福島に向かいました。先導機の操縦士伊藤輝紀はうまく放水させましたが、1回の約束は反故、2機が2回ずつ計4回放水しました。ところがJヴィレッジに戻った伊藤の副操縦士が泣き出しました。「おれ被曝しちゃってる」。しかし彼の数えた数値は幸い人体に危険な250ミリシーベルトではなく、250マイクロシーベルトでした。私が一番ほっとしたのは、この錯覚だったのです。
4.その17日昼米原子力規制委員会(NRC)のチャールズ・カストは、北沢防衛大臣と会談し、全面協力を申し出ました。しかし東電も原子力安全・保安院も協力体制になく、詳しい情報の提供をしません。翌18日やっとNRCと保安院、東電、外務書、防衛相の会談が決まりました。しかし18日防衛省はこの会議を秘匿にし、やはり十分な情報提供を拒みました。19日に至っても保安院は全く素っ気なく対応しました。その裏に経済産業省の指示がありました。外務省も動きません。これが一本化したのは、3月22日になってからでした。しかし29日米国ではなお危機感が続いていました。米国はスリーマイル島での事故を教訓に危機管理を組み立て直していたのです。 ここで15回連続の朝日記事は閉じました。
 この経過を見ながら複雑な気持ちでした。米国の友だち作戦にショック・ドクトリンが重なっていたからです。しかし少なくもこの事故から数日間の米国の対応は評価されてもよいのではないかと思いました。彼らは自国の事故から十分に学び、予想される危機に対し迅速な対応を日本に助言していたからです
 唐突な自衛隊ヘリ出動と指揮官の苦悩、被曝量の桁を間違え泣き出した副操縦士らの事を、全く危機感無く極めて対応の鈍かった保安院・東電その他日本の関係者たちは、どう考えたでしょうか?