ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

なぜオオカミはいつまでも野生動物なのに、犬は飼いならす事が出来るのか?

 「神は仰せられた。「地が、種類にしたがって、生き物を生ぜよ。家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。」そのようになった」(創世1:24)。 
 2013年1月17日のサイエンスデイリサイトで、上記の題の論文紹介がされていました。マサチューセッツ大学アマースト校の進化論生物学者サリン・ロード研究員によるものです。下左図はハイイロオオカミ

 各動物の機能には、一生に一度しかない「臨界期」というものが存在し、その時期までに一度も使われなかった脳細胞は、一生必要ないものと判断されて、臨界期を越えた時点から消滅するそうです(http://www7.ocn.ne.jp/~yoshi530/rinkaiki.htm)。
 ですからロード氏によると、オオカミと犬の異なる行動は、その動物たちの最も早期の知覚体験と社会性発達の「臨界期」に関係があるそうです。
 最近までオオカミの子の感覚成長についてはほとんど知られていませんでした。専ら犬で分かっている事からの推測に過ぎませんでした。

 ロード氏は7匹のハイイロオオカミと43匹の犬(そのうち33匹はボーダーコリーとジャーマンシェパードで、母親に育てられ、10匹のジャーマンシェパードは対照群として人間の手で育てられました)の子の反応を研究しました。慣れ親しんでいる臭い・音・視覚刺激と新しい臭い・音・視覚刺激を毎週調べました。全て同じ時期に同じ感覚を成長させました。ところがハイイロオオカミは、社会性発達の臨界期と呼ばれる2週目の成長時期に、その環境をどう経験するのかについて、新しい知見が示されました。その新しい事実がオオカミと犬の成長についての理解をかなり変えるかも知れないとの事です。右図はジャーマンシェパード
 その社会性発達が始まると、オオカミと犬の子は歩き始め、恐れる事なく探検をし、接触したものについては、その生涯を通し親しさを持ち続けました。飼い犬はこの時期に人間、馬、猫に引き合わせられ、ずっとそれらと心地良く過ごしました。しかしその時期が過ぎてしまうと、恐れが増加し、新しい光景や音や臭いは恐怖の反応を引き起こしました。
 ロード氏の観察では、オオカミと犬の子は、大体2週目には嗅覚、4週目は聴覚、6週目までに視覚を成長させます。犬はその臨界期が4週目から、オオカミは2週目からです。ですからオオカミと犬はその重要な月齢に世界をどう経験するかがかなり異なり、異なる成長の道を辿る結果になりました。
 オオカミの子は2週目に歩き始め、その環境を探検し始めた時、まだ目が見えず耳が聞こえません。その事実はこれまで誰も気づいていませんでした。ですからオオカミが探検を始めた時、ます嗅覚に頼らざるを得ませんでした。
 その為オオカミの子が最初聞き始めると新しい音にまず驚き、最初にモノを見始めた時も、まずその新しい視覚刺激を恐れました。各感覚が関与している時、オオカミの子は犬の子が感じない新しい感覚の衝撃を経験しました。
 一方犬の子はこの3つの感覚、つまり嗅覚・聴覚・視覚が働き始めた後、探検を始め歩き始めます。ですから2週目に生まれた犬の子は、まだ起きたり歩いたりする事が出来ません。
 犬は社会性発達の臨界期が生後4〜8週目なので、この時期に90分間だけでも飼い主や他の動物に接触させておくと、将来相手を恐れたりしなくなりますが、オオカミは生後3週間前に24時間接触させて、やっと同様の警戒心を解く効果が得られたそうです。それがオオカミと犬の違いとなります。犬は4週目から飼い慣らす事が容易で、その時期オオカミは、既にそれが困難になります。
 ところで犬が現代オオカミと祖先を共有している事は進化論者も創造論者も同じです。遺伝子の証拠(DNA組成はほとんど変わらず、犬は家畜化されたオオカミとの仮説があります)がそれを裏付けています。しかし進化論者はそれを一つの生物から別の生物への進化の例と見るのに対し、創造論者はそれを元々の「犬の」種類(ヘブル語のバーラー=造る、とミーン=種類から、バラミンという造語を使用しています。造られた種類のものという意味)からの分化又は多様化の例と見ています。その時期はノアの洪水以後になります。
 余談ですが、犬(dog)の英語を逆さにすると神(god)になります。それで神が犬を人間のもとに遣わされたという話がありますが、それは違います。犬は創造のはじめに他の動物たちと平等に造られました。