ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

水戸街道の道標

 「あなたは自分のために標柱を立て、道しるべを置き、あなたの歩んだ道の大路に心を留めよ。おとめイスラエルよ。帰れ。これら、あなたの町々に帰れ」(エレミヤ31:21)
 私の住む松戸市は歴史が古く、3・11原発事故直後に行った発掘では旧石器時代の石器の破片が多く出ました(その発掘中に知らずしてホットスポットとなり、かなり被曝したと推測しています)。そして何よりもその入り組んだ地形の台地上で縄文時代の遺跡が極めて多く発見されています(遊水地のある台地南側。日当たりの良い場所)。また地球温暖化による縄文海進の時代、海が陸地奥深く入り込み、人々は貝を採って食べ、その残りを捨てた貝塚が残っています。平安時代には下総国分寺、尼寺が南隣の市川市に造営され、鎌倉時代に入って千葉常胤が下総の国の守護となり、その一族が松戸でも住みついていました。戦国時代には、私の住む所の北に小金城が築かれました。それは豊臣秀吉が攻めて開城させ、江戸時代に至ります。幕府は水戸との繋がりがありますから、そこに至る水戸街道が整備された為、松戸は宿場町として繁栄したようです。旅人は渡し船で江戸川を越え、そこに入りました。右図の「是より御料松戸宿」という碑ですが、実物ではなくレプリカです。右側の板に碑建立に至る経緯などが詳しく書かれていました。

 その江戸時代の文化3年(1806年)、水戸街道馬橋駅に通じる道が本道で(現在の国道6号はそこから逸れて土浦から水戸まで通じています)、旅人は気をつけないと道を間違えた事でしょう。私の住む所から駅の反対側を10分位国道6号沿いに歩くと、八ヶ崎交差点に到着しますが、そこに今度はれっきとした年代物の道標が建っています。

 この道標「左水戸街道」という大きな文字が明確に見えました。こうした刻印は時代と共になかなか読み取れなくなりますが、今回は違いました。これなら旅人も絶対間違えなかった筈です。
 その右横に回りますと、今度は「右印西道」という文字が見え、同時に文化三年の文字もよく見えました。今から200年以上も前の事です。

 この道標のそばの国道6号は車線が狭いのに、車はすごく飛ばしていて歩道ギリギリまで来るので怖いです。昔の人がこの光景を見たら、何と言うでしょうか。車なんて要らない、歩きなさい!くらいでしょうか。