ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

小金城見学

 「【主】の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である」(箴言18:10)。
 2013年2月21日、中古で安く手に入れたデジカメの癖を知る為、自転車で近くの小金城址まで行って来ました。昼の時間だけでしたが天気に恵まれ、標高20メートルほどの城郭址を散策して来る事が出来ました。

 ウイキぺディアによりますと、小金城は1537年に高城 胤吉(たかぎたねよし)によって築かれました。彼は千葉氏の家臣でした。千葉県という名前の由来は、普通にはこの千葉氏からと考えてしまいますが、実際には下総国千葉郡千葉郷という地名が先にあって、その地に住みついた人々が家名として名乗るようになったというのが真実だそうです。 
 高城氏はこの城を築く前にも、そこから東およそ3キロほどのところ、現在国道6号水戸街道が通っている所に根木内城を建てました。今はそこは航空写真を見ますと、見事に分断され、東側がかろうじて残っています。
 こうした丘陵上に造られた城の事を平山城(ひらやまじろ)と言うそうですが、戦国時代末期から盛んに築城されたようです。
 江戸城、姫路城などに比べると、およそちゃちなものですが、下総国北西部においては最大規模だったとあります。南側の田んぼからほぼ全貌が見渡せます。
 この城の特徴ですが、残っているのは障子掘と畝堀などです。まず南のほうから丘陵を登って行くと、障子掘があります。これは丘陵の斜面に造られた空堀ですが、途中に高さ2メートルほどの間仕切り、つまり障子のようなものが造られていて、下から登って来る敵をその壁で遮るようにしたものと、松戸市教育委員会の看板の説明にありました。私が覗いた時は、その間仕切りは良く見えませんでした。

 さらにコースに従って歩いて行くと、畝掘がありました。これは看板の説明では堀底に断面が蒲鉾形をした畝が堀直交する向きに連続的に造られた、「全国的にも非常に珍しい構造」だそうです。

敵はこの堀底の小溝に足をとられ、立ち往生したところで討ち取る事が出来ました。発掘調査では鉄砲の弾などが見つかっています。これは画像でも分かりますが、粘土層が風化して良く分かりませんでした。

 他にも土塁などの遺構が残っていて、見て来ました。西およそ2キロの所を江戸川が流れています。しかし地味な場所なので、見学者はたった一人だけでした。珍しい堀の跡を見学出来たので、満足して帰りました。