ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

イラク戦争から10年

 「彼らはヨシュアのもとに帰って来て言った。「民を全部行かせないでください。二、三千人ぐらいを上らせて、アイを打たせるといいでしょう。彼らはわずかなのですから、民を全部やって、骨折らせるようなことはしないでください。」そこで、民のうち、およそ三千人がそこに上ったが、彼らはアイの人々の前から逃げた。アイの人々は、彼らの中の約三十六人を打ち殺し、彼らを門の前からシェバリムまで追って、下り坂で彼らを打ったので、民の心がしなえ、水のようになった」(ヨシュア7:3−5)。
 2013年3月20日は、イラク戦争始まって以来20年経過という事で、各サイトまた日本の新聞なども、その事について一斉に報じていました。
 この戦争については報道合戦でよく知られています。2001年の9・11米国同時多発テロの際、イラク国営放送が「アメリカがこれまで犯してきた人道に対する犯罪に対する当然の仕打ち」(ウイキペディアより)と報道した事から、米国内で急激に反イラク感情が生じ、時の大統領ブッシュはイラク国内に大量破壊兵器が存在する為、これを放置しては大変といった理由で、2003年3月戦争を開始したのでした。
 左写真はフセイン大統領(2006年処刑)
 勿論イラクフセイン大統領のもと、徹底抗戦の体制を敷きましたが、僅か2か月以内に米軍は勝利し、フセイン政権は打倒されました。しかしその後の捜索活動で、イラクには大量破壊兵器など存在しない事が判明、米調査団は2004年にそれを発表しました。
 同じ2004年イラクでは暫定政府が発足しました。この時はアラブのシーア派クルド人を主体とする親米政権でした。翌年の選挙ではシーア派が圧勝しました。2006年の正式政府は、シーア派のマリキ氏を首相に、クルド人スンニ派などから選ばれた人々で発足しましたが、宗教対立が次第に悪化し、治安状況がひどくなった為、2007年米軍は増派し、安定化を図りました。その辺りから米軍に対するテロ攻撃は本格化し、戦争は泥沼状態になったと考えられます。そこで新たに選ばれたオバマ大統領は、2010年米軍の戦闘任務を終息させ、2011年12月に撤退は完了したと宣言したようです。
 2013年3月イラク戦争から10年を迎え、米国ではそれが誤りであった事を認める論考が多く出て来ました。またイラクではますます宗教的対立は深まり、スンニ派シーア派を、またアルカイダ系組織も、シーア派政府打倒のテロ行為を深めています。
 2013年3月16日のワシントンポストサイトで、「イラクに対する5つの謎」という題の記事が載りました。それはこうです。
 1米軍部隊の増派は成功した。違います。シーア派スンニ派クルド人アルカイダ系を含む組織のテロ活動で、米軍の死者・負傷者数は急増、各派の妥協を模索し、政治的安定をもたらそうとしたこの作戦、失敗といってよいでしょう。
 2今日のイラクは比較的平和である。違います。安定どころではありません。この3月だけでも殺傷・テロ爆撃等の事件が多数発生し、国民は等しく怯えています。
 3イラクは民主体制である。違います。それは書類上の事に過ぎません。シーア派のマリキ首相はフセインと同じように、強大な中央集権化を目指しています。
 4イラクはイランの言いなりである。違います。マリキ・イラク政権とイランはシーア派であるゆえに同盟関係を保っていますが、湾岸諸国はスンニ派主体で、うかつに動く事は出来ません。隙あらばイラクスンニ派は、シーア派政権を打倒するでしょう。
 5米国の軍隊は全て撤収した。違います。イラクにはいまだ220人の軍事専門家たちが残っています。シリアの深刻な内戦がイラクにも飛び火する可能性がある為、米国はテロ反対組織を支持する立場を留保しています。
 ナオミ・クラインショック・ドクトリンの第六部を費やして書いたイラク戦争、cangaelさんのブログにあった(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20130323/1364003343)「イラク侵攻」、米国には相当傷が残りましたが、上記のようにまだ終わっていません。ただこの副題の「災害資本主義の勃興」は失敗したと確信します。