ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ピアニスト、第一回チャイコフスキー国際コンクールの第1回の優勝者バン・クライバーンの死

 「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ」(箴言18:12)。
 2013年3月4日のハフポストサイトでは、国際的なピアニストだったバン・クライバーンの死を悼んだ記事を記していました。

 彼が有名になったのは第一回チャイコフスキー国際コンクールのピアノ部門で優勝した為です。
 朝日新聞の甲乙閑話欄によると、旧ソ連が1958年にこの国際コンクールを創設した狙いは、当時米国との間に「冷戦状態」があった為、ソ連にとっては「国家の威信を賭けた一大プロジェクトだった。リヒテルやギレリスといった巨匠を抱く我々が、米国に負けるはずはないー」という事でした。
 ところが1934年生まれ、3歳でピアノを練習し始め23歳になったテキサス在住米国人バン・クライバーンが、上記巨匠となる音楽家を凌いで優勝してしまったのです。音楽を愛好する人々なら、この快挙に「あっと」驚いたに違いありません。
写真右はクライバーンと握手するフルシチョフ
 当時の写真をみると、まさにテキサスカウボーイを彷彿とさせる青年で、野心満々といった印象です。ピアノもブーニンを思わせる激しいタッチのものでした。http://www.youtube.com/watch?v=-M7M4UoqBpA(これは1962年モスクワで行われた公演)
 しかし威信失墜したはずのフルシチョフクライバーンは、上記写真を見るとがっちり握手しています。そしてこれをきっかけに、ソ連と米国の冷たい対立関係は徐々に解消して行きました。彼は音楽を通して両者の和解の為の「特使」となったわけです。
 彼は米国には英雄として迎えられ、しばし国内での演奏は行われました。でもバッハのゴルトベルク変奏曲で一躍有名になったグレン・グールドと同様、その実演に触れた人はあまり多くありません。
 そして彼は早々と引退してしまいました。テキサス州フォートワースの人々は、彼の業績を記念し、1962年にバン・クライバーン国際ピアノコンクールを立ち上げましたが、そのあまりに商業主義的な手法の為、近年の評判は良くないようです。
 クライバーンに何が起きたのでしょうか?それを知る人々は、日本は勿論米国でもあまり多くありません。
 実は彼はテキサス州で敬虔な両親のもと、6歳から信仰の事を教えられながら育ちました。両親はファースト・バプテスト教会で奉仕をしていました。その為音楽家としての経歴に先立ち、クリスチャンとしての信仰を得ていました。しかも彼はその信仰の問題では奢る事のない敬虔な人、常に静かな人、祈りの人でした。そして天に召される前まで、教会のピアニスト、オルガニストとして奉仕を続けて来たのです。その音楽は伝道の為にも用いられました。それ故彼は偉大なヒューマニスト、博愛主義者、良き友とも呼ばれていました。
 そのように「私たちはキリストの使節なのです」(コリント第二5:20)というみことばを実践して来た彼は、晩年骨癌に侵され、78歳にて天に召されました。信仰ゆえに恐れを抱かなかったと彼の友人たちは証言しています。
 http://abpnews.com/ministry/people/item/8261-baptist-faith-was-first-for-cliburn-friends-sayを見ますと、彼はあの悪名高いブッシュとも握手をしています。でもブッシュは彼の生き方に学んでいません。武力でなく他国との和平に努力していたら、クライバーンと同じく、いつまでも語り継がれる人になれたのに!