ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

ダーウインが人種主義を普及させたのか

 「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。だれが、それを知ることができよう」(エレミヤ17:9)。
 聖書によれば人間の心はあらゆる悪の工場のようなもので、それには人種主義という悪も含まれています。
 2013年2月13日に「答えは創世記に=AiGサイト」を見ていたら、上記の題の論考がありました。
 ダーウインは人種主義という言葉を作り出しませんでしたが、彼の進化論という価値体系はそれを育みました。
 ●コンゴピグミー族にオタ・ベンガという人がいました。彼は1906年オランウータンと共に、ニューヨーク市ブロンクス動物園で檻に入れられ、生きた標本として「展示」されました。
 ●ヒットラーアーリア人種を支配人種として掲げる為に、考案したガス室ユダヤ人を詰め込みました。
 ●欠けた環(*生物の進化・系統において、化石生物の存在が予測されるのに発見されていない間隙)を求めて、白豪主義(オーストラリアにおける白人最優先主義とそれにもとづく非白人への排除政策)を掲げる進化論者たちが、1800年代に先住民族アボリジニを追跡して捕えたり殺したりしました。

 ダーウインが1859年に出した「種の起源」の正確な題名は、『自然選択の方途による、すなわち生存競争において有利な人種の存続することによる種の起原』(岩波文庫)です。彼は自然の無慈悲な力が最適者を選ぶというやり方で、単純な生命が自然発生し、より高等なものへと進化して行く事を想定していました。
 次に彼は『人間の由来』という本を書き、類人猿から進化した人間は、引き続き進化し、様々な人種となったという事を理論化しました。或る人種は他の人種より優れており、白色人種が他の人種を凌いで最も進んだ人種となったと主張しました。ですから他の人種は「野蛮で、程度の低い、堕落したもの」と蔑視したのです。
 人種主義という言葉は1859年以前にも存在しましたが、ダーウインの進化論の後さらに煽られて定着しました。
 しかしその後遺伝学の分野でその間違いが暴かれました。彼が知らなかったのはメラニンという肌の色素でした。人間の遺伝子構造の違いが、メラニン生成量の多寡を決定します。黒人は皮膚のメラニン生成量が多いので肌の色は生まれつき濃い褐色となり、「白人(コーカソイド)」はメラニンが少ないので白色、「黄色人(モンゴロイド)」はその中間になるといった塩梅です。相違は皮一重に過ぎません。
 その差は聖書ではバベルの塔以後全世界に散らばっていった人々の隔絶によるものと考えます。ですから肌の色の違いは進化の結果ではありません。聖書は神が人間をそのかたちに創造された事を記しています。最初の人アダムとエバです。全ての人が彼らの子孫となります。即ちあえて人種という言葉を使うなら、たった一つ、つまり人間という種だけが存在します。
 「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました」(使徒17:26)。
 勿論これは聖書を信じない人には不可解かも知れません。しかしもしダーウインの進化論を信じるなら、人種主義も信じる事になり、最適者生存も信じる事になります。ならば東京の人は自然の選択(自然災害、それに人為的災害)により東北の人より優れているから生き残れたという理屈だって成り立つでしょう。今東北の被災者たちがあらゆる面で差別を受けつつある現実にあって、問われているのは「あなたの進化論」です。