ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

津波により根こそぎにされた教会の群れが再編成される

 「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです」(ヤコブ1:12)。

 2013年3月10日、ニューヨーク・タイムズ東京支局の田淵広子記者が、被災地をまめに走り、上記の記事を纏めています。この教会の群れとは、福島第一聖書バプテスト教会の事です。3月8日(土)にいわき市泉に新会堂が完成し、10日初めて礼拝が行われました。続く11日には大震災2年目を迎え、祈祷会も行われました。この会堂の献堂式は5月11日(土)に予定されています(http://f1church.com/)。
 この新会堂は福島第一原子力発電所からおよそ30マイル(48キロ)離れた所に建てられました。元の教会は福島県大熊町とその周辺に4つの会堂を持っていましたが(双葉郡大熊町大野、南相馬市小高区、双葉郡大熊町熊町、双葉郡富岡町)、2011年3月11日の大震災及び大津波、そしてその後の原発事故によりもろにその影響を受け、多数の信徒が被災した為、故郷を追われる事になりました。信徒たちの家も相当破壊された為、牧師の佐藤彰氏らと共に、東京都の奥多摩福音の家に集団疎開し、そこで生活を送り、礼拝を守り、新会堂の為に祈り続けました。佐藤牧師は全国を飛び回って訴えを続け(東京の講演では私も出席しました)、その著作『流浪の教会』も多くの方々に読まれ、新会堂設立の為の基金も集まり、遂に今回の献堂式まで漕ぎ着ける事が出来ました。
 田淵記者は 副牧師の佐藤将司氏にインタヴューを試みていますが、2008年設立の立派な会堂が使用不可能となり、さすがに「神様なぜですか?」と問わずにはいられなかったそうです。画像右が旧会堂。ほぼ無傷。

 とにかく原発からすぐ近くに家を構えていた信徒たちが多かったわけですから、その古い家を廃棄するのに忍びなかった人々もいました。最もひどい汚染地域に集中していた為、帰還はあと数十年経ってもどうかという状況でした。しかし今度のいわき市での新会堂完成で、2年余にわたる流浪の生活には終止符が打たれます。最も忠実な会員たちは一様にその信仰が試された事を証していました。会員の中田氏(60歳)は、この大震災により原発で手がけたプラントは破壊され、属する教会堂も、自宅も全て失いましたが、信仰は消えませんでした。しかも災害直後に主人を亡くした同じ教会員と結婚する事が出来ました。
 最初の会堂は原発に近かったので、教会もその発展と共に歩み、150人位の大きな会衆まで成長しました。福島が仏教や神道などの習わしの強い地域である事を考えると例外的と言えるでしょう。ちなみに政府の統計では、人口1億2千7百万人のうち、活動会員は3百万人に及ばず、僅か2.3パーセントという国なのです。

 佐藤彰牧師自身、この大震災より20年前『「苦しみ」から生まれるもの』という著作を出し、「信仰者は…絶望のどん底に突き落とされてうなだれたまま、そこから起き上がってはい上がっていくだけの力が自分の内にはもはや見出せなかったとしても、その時の支え(=実は聖書の言葉)が何であるか、そしてまたどこに行ったら立ち直る力を得ることができるかを、ちゃんと心得ている」と言っていました。勿論この大震災で佐藤牧師は喪失した会堂、亡くなった信徒たちなどの為、何度も何度も泣きました。でも田淵記者の質問に答え、「日本で道に迷うのは簡単。けれどもこの災害は実際私たち全てをさらに強くした」と力強く証しました。