ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

鬱的思考は人から人へ広がりやすい

 「災難の上に災難が来、うわさがうわさを生み、彼らは預言者に幻を求めるようになる。祭司は律法を失い、長老はさとしを失う」(エゼキエル7:26)。
 2013年4月24日のタイム誌サイトに、上記の題でマイア・サラヴィッツという人が寄稿していました。

 研究したのは米国インディアナ州カトリックノートルダム大学のジェラルド・ハーフェル教授らです。
 対象者は家族に囲まれて生活していた高校時代から、中西部の或る私立大学に入学し学生寄宿舎に入った生徒たち108人です。内訳は同室者のいる男性42人と、同じく同室者のいる女性66人です。
 初めて家を出て大学の寄宿舎に入った時の学生たちの社会的繋がりや思考スタイルは、同室者にどんな影響を与えるか、また意思の疎通が鬱に対してどんな影響を与えるか、という事を調べるには、そこは理想的な研究の場と言えます。しかも同室者はランダムに大学側で指定していますから、学生の側で息の合った友人を選べない事になり、全く思考スタイルの異なる知らない人と共に生活をします。
 これまでの研究では鬱的な思考スタイルは、高校までに安定、継続的なものとなり、生涯にわたる鬱の危険性を増加させ得るものである事が示されていました。ハーフェル教授は、「認知の脆弱性(=物事を悪い方向に考える傾向や、自身の欠点を責め続ける性質)は、鬱と同じではありません。なぜなら認知の脆弱性を持っている人でも、惨めな気持ちになったり、暗い気持ちなるとは限らないからです。それは高血圧とよく似ています。それは心臓病のリスクとはなりますが、心臓病があるという意味ではありません。
 でも新たな大学生活を始めたり、見知らぬ人の前にさらされたりするといった重大な生活の変化は、そうした危険要素が敷居を越えて、実際に抑鬱障害になるかどうかのきっかけとなり得ます。
 新入生たちはオンラインで、思考様式や鬱的兆候について3か月、さらに6か月と調査を受けました。
 ハーフェル教授らは、以前鬱と関連のあった2つの思考の型を探りました。1つは反芻思考(=過ぎた事をもう一度元に戻しまた苦しみ直すというもの)です。言い換えると悪くなりそうな事について、いつもくよくよ考え続ける事です。そうした学生たちは抑鬱気分に焦点を合わせ、どうして惨めな気持ちになるのか考え、なぜ精神的に落ち込んだ状態になるのか理解しようと努め、その惨めさの意味について思い煩ってしまいます。逆に反芻思考をしない人は、惨めな気持ちになったとしても、運動その他で気を紛らわしています。
 2つ目は絶望感、望みのなさ(=安楽または成功への望みを放棄した時の自暴自棄な気持ち)です。例えば望みも無く思っている人は、仕事を失っても個人的な失敗と見、二度と雇用されないしるしと理解する人の事です。
 研究者たちはこの2番目の「絶望感」は同室者に影響を与えないけれども、1番目の反芻思考は影響を与える事を発見しました。前者は自己の中に深く沈潜し、他の概念とも結びつけ、他の人の思考に影響を与えにくいのに対し、後者は否定的思考に焦点を合わせ、惨めさにばかり留意し、たやすく鏡のように他のものに反映させるからだそうです。
 興味深い事に抑鬱症状自体は伝染性では無い事です。疾患の兆候ある同室者がいても、精神病を発展させる危険性を増やす事はありません。
 しかし学校生活の最初の3か月に、同室者の反芻思考を伝染病のように受けてしまった人は、鬱的兆候を2倍以上も増やしてしまいました。しかも同室者が高いストレスの条件下に置かれた場合、その危険性はさらに拡大しました。否定的な思考様式のある同室者がいると、ますます否定的になるという事です。
 逆に健康な思考様式のある人が同室者である場合、その人から健康的な思考様式を発展させる事が出来ます。人の心の状態は複雑ですね。