ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

和合亮一著『詩の礫 起承転転』

 「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人。まことに、その人は【主】のおしえを喜びとし、昼も夜もそのおしえを口ずさむ」(詩1:1−2)。

 ウイキペディアによりますと、和合氏は福島県立福島高等学校、福島大学教育学部卒業。同大学院修了。福島県の高校国語教諭の傍ら詩作活動を行っています。2011年3月11日の東日本大震災では自らも被災し、現場からツイッターで「詩の礫」を発表し続け注目を浴びました(http://www.youtube.com/watch?v=3FM7g2QED9Q)。「放射能が降っています。静かな夜です」(2011年3月16日)。
 このツイッターによる詩作は特異なもので、ネットではこれは詩ではないと批判する心無い人々がいますが、私はれっきとした詩だと思いました。
 過去ログで作曲家新実徳英氏を取り上げた時、少し触れました。今回2012年3月から2013年2月までの分が単行本となり、図書館で借りて読みました。
 題名の後の方ですが、「起承転転」という言葉は、原発問題が完結する事はないという意味で、和合さんの造語だと思っていたのですが、既にマンガなどの世界では出来ていたのでしょうか?
 ツイッターですから、或る時は一つの言葉の羅列、或る時は一つのフレーズの繰り返しとかいろいろパターンがあります。勿論その意味が把握出来ない箇所も多いのですが、その間に明瞭な言葉があります。
 「今夜 吹いてくる風は 空恐ろしい 悲しみ 悔しさ 憤り 不条理 それを花を散らせることで なかったことにしてしまおうとする 散るというのか」
 「『震災を前にして詩人はイノチガケで書く必要もなく、事実だれひとりイノチガケで書いている詩人はいない。イノチガケが凝縮したような震災のなかで、イノチガケとは最も縁遠い場所に詩人がいる。そのコントラストが悲しいくらい滑稽である』と書く批評家の滑稽さよ」
 「食べること そうすることで 分かってくること お腹が満たされるよりも、前に 解決しなくてはいけないことがヤマほどたくさんあるということ だけど 何も満たされないままに 私たちは 日々 パンを手にすることに 感謝して じっと 噛むということ 人はパンのみに 生きるにあらずなのに
 「一昨日 深夜にタクシーで 街から帰ってきた 脳裏に卒然と『再稼働決定』文字が浮かんだ 運転手さんが一言『どうなっちまうんでしょうねえ この国は』 どうして 私の 頭の中が 見えたのか 暗い夜道のカーブの行く末を 見ていたくせに」
 「6月29日 官邸前に人の波 たくさんの人の思想、たくさんの人の呼吸 たくさんの人のまなざし たくさんの人の信念 たくさんの人の優しさ、たくさんの人の誠実 たくさんの人の情熱 たくさんの人の悲しみ たくさんの人の足音 たくさんの人の叫び たくさんの人の真実 変えられる 変えられる 何かを 変えられる 変えなくては 何かを 変えなくては たくさんの人影 静かな兆し」 
 「『福島の人とは結婚しないほうがいい』と述べたという/『放射能の通った地域にいた方々は極力結婚しないほうがいいだろう』と発言/戦慄を覚えて 僕は赤ボールペン 次 赤鉛筆を 床に落としてしまった 赤ボールペンはどこだ 赤亜鉛筆はどこだ 人権はどこだ 自由はどこだ どこへ」
 「サッカー場の脇に 小さな山が いくつもあって ブルーシートが 掛けられてあった 『何?』『除染だよ』 隣には巨大な 長方形の穴 街のプールよりも 大きい穴 『プール?』『違うよ』『何が』 埋めるのだ 土に 土を 何を 土を 何に 土に」
 「光を それだけを求めて わたしたちは 田畑を歩いてきた 見つからない どこにも わたしたちの 光と 土と 風を 奪った者とは 誰か 誰だ それは わたしたちなのか 涙が止まらない ならばなお 光から はじめよう 光あれ
 「『復興という言葉は恐ろしい 『復興』という言葉ひとつで何かをまとめあげようとされてしまうからだ 現実はもっと現実である 解決など何もしていない それを『復興』という言葉は 現実から何かを 現実的に 外そうとしていく 見間違うな 現実は 加速度的に 非現実になっていくぞ
 「これから10万年も 何も変わらなないのかもしれない と鬼が笑う それまでに人類は滅ぶが 鬼は残る 人がいなくても 鬼は残る どうた どどどうた どうた どうた どどどうた」
左は和合さんの最新刊です。 
 「人間として 日本人として 教師として 大人として 父と母のこどもとして 生き残った者として 福島人として 泣き虫として したたかに たくましく しなやかに 時には 目を閉じて ひとしきり 涙を流そうではないか そして目を開いて 青空を 仰ごうではないか そして目をとじる 祈る そのために とじる 祈る 三度目の春に つぶやく 詩を もっと 書かせてください もっと詩を 詩よ詩を」
 ●国は今不十分なパンだけ与え、廃炉という魂の願いを無視して原発の再稼働を推進しようとしています。「光よ。あれ」と言われた神は世界を造られましたが、罪ある人間がそれを台無しにしようとしています。土も水も空気も全て汚染されてしまいました。今は闇の時です。絶望・無力な時かもしれません。でも和合さんは「幾分偽善的な私(たち)の」国会周辺デモにエールを送ってくれています。それはちょっぴり心強いです。
 しかし和合さんは犠牲になった福島で、時に静かに、時に荒々しく怒りの声を上げています。中央・地方の構図は不変のままです。 どの詩も私たちには極めて重いです。まだ図書館に納入されていない最新の『廃炉詩篇』ですが、これも是非読みたいと思っています。皆様にもお勧めです。