ヘイト・スピーチについて
「しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に向かって『能なし』と言うような者は、最高議会に引き渡されます。また、『ばか者』と言うような者は燃えるゲヘナに投げ込まれます」(マタイ5:22)。
この聖書の言葉にあるように、イエス・キリストは世の一番弱い者の立場までご自身を低くし、その者たちを罵倒する輩を厳しく叱責し、極めて重い裁きがある事を述べられました。
2013年5月23日の朝日新聞社説に「ヘイト・スピーチ」という片仮名語が出ていました。括弧して「憎悪表現」とありましたが、「憎悪発言」のほうがよさそうです。
このところ日韓・日朝間の領土問題を巡り、韓国・中国憎しと、憎悪発言を繰り返しながら、街頭をデモする人々の姿が目立つようになりました。
その背景に「人種差別」がある事を疑う人はいないでしょう。
過去ログにも書きましたが、この人種差別思想を大々的に広めたのが、悪名高き進化論者ダーウインでした。「最適者生存」という言葉自体は、ハーバート・スペンサーが初めて使用しましたが、1859年の『進化論』以来150年以上経過したにもかかわらず、しかも科学的論証はなく(むしろ反証が多く出ています)、仮説に過ぎないのに、今なお根強く人々の心に定着しています。
それは小学校の学習指導要領、中学教科書、特に「進化」という言葉を多用する朝日新聞など大手マスコミその他による、幼い時からの刷り込みに因っています。逆に進化の証拠とされる「痕跡器官」(*虫垂など)は、今も大切な役割を果たしています。またヘッケルの反復説、工業暗化説、移行形態の化石の皆無など、誤謬やねつ造、単なる推測が目立ち、誰も目撃していないのに「科学」と称しています。「目に見えないものを真実とする」というのは、キリスト教の「信仰」ですが、ダーウイン説を真実とする人も実は信仰者です。いかなる科学者でも追試が不可能である事柄を事実とするのは、進化論への「信奉」に過ぎません。
ですからダーウインの進化論を信じていて、憎悪表現を否定する人々は「矛盾」しています。
ところで名目的かも知れませんが、韓国はクリスチャン人口が30パーセント近く、日本の0.1パーセントとは比べようもなく、倫理意識は高いものと想定します。
ですから韓国などは日本の首相や大阪市長の発言を看過してはいませんが、日本とは違って「大人」の配慮があるようです。
ところで国連には人種差別撤廃条約というのが存在します。国連総会にて1965年に採択され、日本は1995年に加入したとありました(ウイキぺディア)。この条約の第四条でヘイト・スピーチを禁止しています。それはれっきとした犯罪です。しかしこうした問題でいつもクレームをつけるのが米国です。「言論の自由を妨げない範囲」という留保をつけたのです。そして日本もまた米国に追従し、この条文には留保をつけています。
しかし私は聖書に従い、「憎悪表現」に強く反対します。男女の人格を貶め、場合によってはその非難された人を自殺に追い込むような事が、どうして許されるでしょうか?
創造論を信じなさいとは言いません。これはあくまで個人の信仰問題だからです。しかし進化論を信じながら、同時にヘイト・スピーチをしてはいけない、貧困者を、障害者を、そして福島を差別してはいけない等々と主張するなら、それは大いなる矛盾であり、神の目から見れば「偽善者の主張」となるでしょう。