ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

異なる倫理とのバトル(戦い)

 「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう」(コリント第二6:14)。
 2013年6月4日の朝日新聞夕刊「終わりと始まり」というコラムで、また私の高校の1年先輩の池澤夏樹氏が、かなり鋭い批評を書いていました。

 氏は「種」という言葉を使っているので、「進化」という言葉もここに出て来ます。私はちょっと不満ですが、譬えとして仕方なく受け入れます。
 それは別にしても、まず氏は冒頭で「今、この地球上には「ホモ・サピエンスとは別の地的生命体が棲息している」と言っています。それを氏は仮にホモ・エックスと名付けてみましたが、あとでそれが「法人、もっと簡単に言えば営利を目的とする株式会社の類」である事が分かります。下左図は東電本社ビル。

 すると両者が共生関係にある事はすぐ理解出来ます。私たちホモ・サピエンスは彼らホモ・エックスから利益を得、彼らも私たちによって生かされていますが、両者の間には軋轢があり、時と共に深刻化します。ホモ・エックスは進化し、「適者生存」によって、私たちは彼らの支配下で半ば奴隷のような地位に落とされる可能性があります。ただ生物界と違い、私たちが絶滅する事はありません。
 しかし両者は「種」が違いますから、ホモはとにかく、サピエンス=賢さ・知性の点で、大きな問題が生じて来ます。最大の問題は「倫理」が異なる事です。それを池澤氏は強調しています。
 氏が挙げているホモ・エックスの代表の一つが東電です。「よくもまああれほどぬけぬけと嘘をつき、白を切り、ごまかし、隠し、払うべき額を値切れるものだ」と呆れています。「種」の違いが列挙された事になります。
 そこで氏はそれを「『ホモ・サピエンス」の倫理で責めてもなじっても、それは詮ないことではないか。種が違い、生きる目的が違うのだから。人でないものに人倫を求めるのは無意味だ』」と言い切っています。
 私はなるほどと思いました。そしてこのホモ・エックスには、「法人」だけでなく、政府や役人財界の「脳の構造が異なり、ただ人間の顔だけ持っている者」も広く含まれると考えました。ですから私たちが反原発で彼らと戦う時、それは「人間でないものを相手にするバトルなのだ」という事になります。国会前で幾らサピエンスへの復権を求めて、彼らに叫び訴えても、「種」が違うから言葉が通じません。通じないから彼らの中にあるのは、ただ「沈黙・無視」だけです。彼らだけに通じる「イン・サピエンス」(*インはラテン語の否定辞。賢くない者の意味)的行動があるだけです。だから国会周辺で見る彼らの顔には、人間的表情がありません。二本足で歩いているだけの「のっぺらぼう」です。
 「種」が異なるという池澤氏の論理では、安倍首相もホモ・イン・サピエンスです。
 事もあろうに、金曜国会包囲デモのあった日の夕刊では、オランド仏大統領との会談で「原子力発電が重要」とし、六ヶ所村の再処理工場の操業を開始し、核燃料サイクルを本格的に稼働し始める事や、もんじゅの稼働へ向けて協力・支援を要請した事、原発輸出では三菱とアレバの合弁会社で「世界最高水準」の新型炉の売り出しを積極的に行う事などが記されていました。*この世界最高水準という自慢は、翌8日の東京新聞が、米国サンオノフレ原発における三菱重工最新製「蒸気発生器」の不具合で、関与した原発廃炉を決めた事を報じた為、見事に打ち砕かれました。三菱には多額の補償金も要求されていると言われています。この会社も又、全く賢くありません。世界中から不信の目を向けられ、潰れる事を願うのみです。
 それで池澤氏のエッセイの最後では、戦いの共闘者として、「ホモ・イン・サピエンス」の「突然変異」で、「ホモ・サピエンス」化した東電や経済産業省個々人に対して呼びかけを行い、それを閉じています。