ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

アフリカの歌姫イボンヌ・チャカチャカの大切な考え方

 「人は、死ぬとき、何一つ持って行くことができず、その栄誉も彼に従って下っては行かないのだ」(詩49:17)。
 朝日新聞6月3日の「ひと」欄でイボンヌ・チャカチャカさんという歌手の事が紹介されていました。

 「社会の不正義・不平等と戦続けるアフリカの歌姫」と見出しにあったので、早速調べてみました。画像は中日新聞寄より拝借。
 彼女は南アフリカ(1961年に共和国)旧ケープ州ケープタウンのソエト地区ドブソンビルで、1965年に生まれました(現在48歳)。
 南アフリカでは1948年国民党が政権を握ると、本格的にアパルトヘイト(隔離の意味。全人口の16パーセントを占める白人が、残り84パーセントの非白人を人種に基づいて差別した政策)が法制化されました。それは1994年大統領に就任したネルソン・マンデラが完全に撤廃したので(ただしまだ根強い人種差別が残っていると言われています)、チャカチャカさんは、このアパルトヘイト政策下で生まれました。
 彼女は11歳の時父親を亡くしましたが、朝日によれば「黒人女性が財産をもつことは許されず、家を没収された母は白人の家の家政婦となった。黒人は白人居住区を歩けば放たれた犬にかまれ、午後2時以降に街にいれば逮捕された」とあって、この社会の不正義・不平等に直面しながら育った事になります。
 1985年19歳の時、彼女は歌手としてデビューしました。デフォン・レコーズという会社の人が彼女の美声を見い出してくれたのです。それは幸いな事でした。朝日では「自由への渇望を、貧困との戦を歌に込めた」とあります。まさに歌を武器としての戦いの毎日だったと思います。そして彼女はたくさんの曲をヒットさせましたが、例えば「私は自由をもとめて叫ぶ」(1988年)は、上記反アパルトヘイト闘争で実に27年も獄中にあったマンデラ氏(1990年釈放、1993年ノーベル平和賞)の心の支えとなったそうです。
 そのマンデラ氏に関してですが、彼が1999年に大統領を退いた後、ムベキが大統領職を引き継ぎました。このムベキはナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』にも登場しています。彼はIMF世界銀行などの後援を得て、国営企業の民営化や政府歳出削減といったショック療法を断行した為、1日1ドル以下で暮らす貧困層が、400万人と急増し、失業率も48パーセントと増加しました。スラム居住者は実に国の半分にまで達しました。このムベキの新自由主義経済下で暴力やエイズ問題などが沸騰したわけです。2004年頃の事です。
 そうした時期チャカチャカさんは改革運動を積極的に始め、子どもの保護、女性の人権、マラリヤエイズ対策の為に力を尽くして来ました。
 6月1日から横浜で行われている第5回アフリカ開発会議出席の為に来日し、まず東北の被災地を視察しました。そして今特に深刻なマラリア感染症防止の為の訴えをしたはずです。この会議は3日に終了しました。
 彼女へのインタビューでは、ショックドクトリン以後、南アフリカ共和国の状況は少しずつ改善されているようです。新自由主義経済が終焉を迎えようとしている時、出来るだけ早く復興してもらいたいものです。
 朝日の最後の箇所で彼女は、「人は死ぬときには何も持っていけない」という、おそらくは上記聖書箇所の事実を強調し、それゆえ持てる人は、その分を人と分け合うのが大切だと主張しています。まさにその通りです!