ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

聖地エルサレムで暮らす4民族

 「以上が、その国々にいる、ノアの子孫の諸氏族の家系である。大洪水の後にこれらから、諸国の民が地上に分かれ出たのであった」(創世10:32) 
 2013年5月27〜30日の朝日新聞夕刊で「聖地エルサレムー人々の記憶」と題して、記者がエルサレムに住む4民族の人々にインタビューしていました。下の画像はBBCサイトより拝借。

 私がこれを見て、うっかり見逃していた事があります。この聖地エルサレムの東側の旧市街(新市街はその西側にあり、ヘブライ大学などが存在)に4つの民族が暮らしている事です。それはアルメニア人地区の事でした。
 朝日によるとオスマントルコ帝国末期の1915年に、現在のトルコ領内で、大虐殺事件が起こり、アルメニア人が実に150万人も亡くなったそうです(=ジェノサイド)。その時難を逃れた人々の一部がエルサレムアルメニア人地区に移りました。しかし歴史を見ますと、もっと古い時期から、ここにキリスト教とは言っても教理の異なるアルメニア教会の信徒たちがいたようです。
 その人々がジェノサイドを逃れたアルメニア人信徒たちに、いろいろ聞き取りをして来ましたが、その最後の一人が昨年亡くなったそうです。4つの地区では一番小さなものです。
 次は誰もが想定するユダヤ人地区です。ここに約2千人のユダヤ人が住んでいますが、その大半が1948年の独立後に移って来た人々です。その中には親がアウシュビッツで亡くなった人々もいます。彼らはユダヤパレスチナ人と気さくな交わりをしています。平和な共存を信じている点で、新市街に住む好戦的なユダヤ人とは違います。図の7番目の壁がいわゆる嘆きの壁となっています。
 三番目はイスラム教徒地区です。彼らにとっては、エルサレムは、メッカ、メディアに次ぐ聖地です。ここに14世紀に再建されたとされる彼らのモスクが存在します。図7の右の灰色の部分にあります。
 最後はパレスチナキリスト教徒地区です。ここにはイスラム教徒地区にまで繋がる悲しみの道(ヴィア・ドロローサ)があります。イエス・キリストが、十字架刑にされたゴルゴタの丘まで十字架を背負って通ったとされる道の事です。教派はカトリックの他20近くあるそうです。イスラエル当局は基本的に彼らの身分証明書を発行せず、キリスト教徒たちは隠微な迫害を受けています。
 現在イスラエルはこれらの民族を迫害していますが、それは平和の君であるイエス・キリストを認めていないからです。しかしいつかそれが正される時が来ます。イスラエルは国全体として悔い改め、諸民族と共に平和に共存するようになります。