ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

高市早苗は人の死に対する想像力を持っているのか

「私たちはあなたさまに何を申せましょう。何の申し開きができましょう。また何と言って弁解することができましょう…」(創世44:16) 

 2013年6月17日、自民党高市早苗政調会長が神戸市で講演し、原発の再稼働との関わりで「福島第1原発で事故が起きたが、死亡者が出ている状況ではない。安全性を確保しながら活用するしかない」と発言したそうです。
 6月18日の毎日新聞サイトを見ますと、「高市氏は18日、記者団に『被ばくで亡くなった方はいないが、安全を確保しなければならないと伝えたかった』と釈明。菅義偉官房長官は記者会見で『(発言の)前後を見ると、問題発言ではなかった。現に死亡者がなかったのは事実だ』と擁護した」とあります。
 しかし更新された毎日のサイトを見ますと、「高市氏は18日、記者団に『まったく趣旨が取り違えられて報道された』『もし誤解されたとしたら、しゃべり方が下手だった』と釈明した」とありました。
 こうした一連の発言や釈明に対して、野党は激しく反発し、みんなの党江田憲司幹事長は国会内での会見で『高市氏は即刻、政調会長、政治家を辞めるべきだ』と強調したそうです。政治家を辞めよとの明確な発言は、他の野党議員には見られませんでした。このあたりだらしなさを感じて、ただ腹立たしい限りです。
 しかし高市氏の問題発言に対して大きな反響を呼んでいる事については、自民党議員の中からも、いつもながらの事ですが、「東京都議選参院選への影響を懸念」して、遅まきながら批判を始めました。
 ここで高市氏の略歴を見て見ますと、神戸大学経営学を修めていますから、最初は「金儲け」が狙いだったと推測します。ところが何がきっかけか分かりませんが、あの悪名高い松下政経塾に入り、政治の学びを始めました。
 なぜ松下政経塾が無能の政治家ばかり産んでいるのか、サイトで少し調べてみましたが、ぼんぼんだらけで社会経験の少ない人びとが集っているからだというのが大方の意見のようです。そうした集団の中で高市氏が育ったとすれば、今度のような発言は別に驚くほどではありません。「人間の社会的存在がその意識を規定する」という有名なマルクスの『経済学批判』序言にある通りです。別にこれが普遍的真理と言っているわけではありませんが。
 一個の人間の死は、私も職業柄教会の葬儀でしばしば経験する事ですが、極めて厳粛なものです。ところがそうした死からほど遠い所に居る人々は、死という事に対する想像力が著しく欠けています。
 東日本大震災は多くの死者・行方不明者を出しました。それに関わった人々は、2年半近く経過した現在も絶対忘れ去る事はありません。しかし全く無関係だった首都圏の内でも特に安全圏にいた人々は、その一人一人の死が全く見えていません。本人の無念の死、家族や友人たちの悲しみ、そしてチェルノブイリの経験からしても、これからが本番で内部被曝が原因の死者が続出して来るはずです。また現在若い人びとは一生にわたり、内部被曝によるがん発生の恐怖と戦い続けなければなりません。
 ところで本当に高市・管発言に見られるように、原発事故で死亡者がなかったのでしょうか。東海村の臨界事故のようにはっきり目撃出来るような死者はいなかったのでしょうか?そんな事断定出来ません。初期の情報でも、福島原発の事故と爆発で、今も立ち入り出来ない線量の莫大な建屋内部で亡くなられた方がいたと聞かされています。それが間違いだったとしても、福島民報サイトを見ますと、いわゆる関連死の人々の数は、2013年3月現在福島だけで1383人にのぼるそうです。でも百歩譲って、関連死は原発の直接の死ではないとしても、今現在そんな断定的発言は出来ないはずです。なぜなら3月11日、そして風向きの代わった10日後の放射能プルームで、繰り返しますがこれからが問題だからです。原発を遮二無二推進させる為、時期早々なのにこういう嘘が平然と述べられ、釈明も正しいものではなく、ただの言い訳となっています。管官房長官も同罪です。
 故に真意を正しく伝えられず、しゃべり方が下手なら、政治家として全然役に立ちません。高市氏と擁護する管氏は即刻議員を辞めるべきでしょうし、私たちも福島を犠牲に平然と原発推進を行っている、高市氏を含めた驕りの自民党に、新たな抗議の声をあげなければなりません。社民党政調会長を辞めよという主張は甘いです。
十戒モーセは口下手だったのですが(言語障害か?)、兄アロンの力を借りて、神の言葉を明確に直截語りました。高市氏の口はモーセよりましだったかもしれませんが、人格も威厳も倫理も彼とは比較にならないほど落ちます。人間失格!!