ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

「エル・キャピタンでの登攀者の死:週末でほぼ二度目のヨセミテでの死

 「するとイエスは答えて言われた。『あなたの神である主を試みてはならない』と言われている」(ルカ4:12)
 2013年6月3日のロサンゼルス・タイムズサイトでは、上記の題で記事がありました。

 エル・キャピタンというのは、米国カリフォルニア州ヨセミテ国立公園の中にある渓谷の北側にそそり立つ花崗岩の一枚岩の事です。渓谷の谷床からは約1,000メートルあり、一枚岩としては世界一の大きさです。南西壁及び南東壁には数多くのクライミングルートが切り開かれており、世界のロッククライマーたちが挑戦しています。
左図はhttp://ヨセミテ.net/410sigh/07271620.htmlからお借りしました。
 ここでロンドン在住のフェリクス・ジョセフ・キールマン氏(28歳)が登攀中、高さおよそ180メートルの所で、落下して来た岩石(30×60センチ)に打たれて死亡しました。捜索救助チームは午後4時頃その死を確認しました。

 それに先立ち国立公園内のネヴァダ滝では、この州のサクラメントに住むアレー・カールマンさん(19歳)が水泳中に流れに巻き込まれて滑落し、死亡したものと思われます。遺体はまだ見つかっていません。
 ヨセミテでは毎年数百万という人人が訪れますが、年間およそ12〜15人が死にます。
 こうした危険を伴う冒険について、聖書ではどう言っているでしょうか?
 冒頭の聖書箇所では、イエスが神殿の高い所から飛び降りてみろという悪魔の誘惑に対して、「神を試みてはならない」と叱りつけられました。
 近頃三浦雄一郎さんがエベレストに登頂しましたが、常に危険は伴っていたでしょう。亡くなった方々の運搬にも、途方もないお金と迷惑がかかります。富士山でさえ弾丸登山といって、一気に山頂に向かい、すぐ下山する人々が3割いるそうです。危険は満ち満ちています。
 こうした冒険の動機としては、表に現れなくても「自己の栄光」がきっとあるはずです。しかし神は「わたしのため、わたしのために、わたしはこれを行う。どうしてわたしの名が汚されてよかろうか。わたしはわたしの栄光を他の者には与えない」(イザヤ48:11)と言われました。どんな努力もその達成した力を神に帰さないなら、自分の力を自慢する事であり、それは神に対する試みです。神を冒涜する事です。こうした神への、或いは自然もそうでしょうが、その恐れなしに人間の力でやってゆけると錯覚したところから、原発の事故は起こりました。その無限の危険性に対して蓋をしながら。