ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

真の平等

「もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである」(ガラテヤ3:28)。 
 2013年7月4日の米国創造研究所(ICR)サイトでは、久しぶりに創造科学の父祖とも言うべき故ヘンリー・モリス博士の小論が再掲載されていました。博士は1918年生まれ、2006年に天に召された人です。古典的な『創世記の洪水』を書いた事で知られています。以下はその粗訳です。

 米国の偉大な独立宣言の素晴らしい面の一つは、私たちの創造主としての神の事が繰り返し認識されており、わくわくさせるような表明で始まっています。即ち「すべての人間は平等につくられている」という事であり、その事実が「自明である」事です。
 しかし人間が生まれながらにして平等であるという事は自明ではありません。植民地支配的な米国では、奴隷がいました。彼らはその所有主にとって政治的に平等ではありませんでした。さらに或る人々は富裕な土地所有者であり、或る人々は貧しい事務職員でした。そして参政権とか賃金さらには他の様々な点からしても、女は男と平等であるという事はまずありえませんでした。
 実際世界のどこにも、全ての人々が肉体の美とか精神的・肉体的な力、或いは他の多くの点で、真に平等であるような社会は存在しませんでした。実はそんな社会はたとえ生み出す事が出来ても、まず望ましいものとは言えないでしょう。
 それならどうして私たちは平等に造られたのでしょうか?唯一可能な答えは、私たちが神の視点からすれば、皆平等であるという事です。神は実際私たちを造られた唯一の方であり、私たちは皆等しく神に対して責任を負っているのです。
 でも「全人類が罪を犯し」(ローマ5:12)、「義人はいない。ひとりもいない」(ローマ3:10)のです。従って全ての人が失われた罪人で、完全な神の国に入るのにふさわしくありませんでした。しかし「私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださった」(ローマ5:8)であり、キリストは「私たちの罪のための、−私たちの罪だけでなく全世界のための、−なだめの供え物なのです」。
 私たちが自己の救い主としてキリストを信じる時、私たちは「造り主のかたちに似せられ」、キリストにあって皆新しく造られたのです(コロサイ3:10)。ユダヤ人であろうが異邦人であろうが、奴隷であろうが自由人であろうが、男であろうが女であろうが、皆平等なのです。「あなたがたはみな、キリスト・イエス・キリストに対する信仰によって、神の子どもです」(ガラテヤ3:26)。
 ●7月4日はアメリカの独立記念日の休日でした。しかしこの独立宣言に触れた人々は、オバマ大統領を始め、共和党の中にも、ニュース閲覧の範囲内では、見られませんでした。極めて残念な事です。