ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

「命を捧げた」という表現のうそ

 「だれも、わたしからいのちを取った者はいません。わたしが自分からいのちを捨てるのです。わたしには、それを捨てる権威があり、それをもう一度得る権威があります。わたしはこの命令をわたしの父から受けたのです」(ヨハネ10:18)。
 毎年8月15日の「終戦」記念日が近づいて来ると、歴代大臣の靖国参拝の事が俎上に載ります。

 それがなぜ問題なのかと言いますと、靖国神社には、多数の庶民を戦場に送った東条英機を始めとする7人の絞首刑者と、他に7人を含むA級戦犯が合祀されているからという理由が大きいでしょう。
 1978年10月17日に国家の犠牲者『昭和殉難者』として、彼らは靖国神社に合祀されました。つまり戦争の責任者とその主たる犠牲者が共に、そこに祀られているという事です。
 日本の徴兵制は,1872(明治5)年11月28日の「全国徴兵に関する詔」および1873(明治6)年1月10日の太政官布告無号「徴兵令」の布告による国民皆兵制がとられたことに始まる、とネットにあります(http://tamutamu2011.kuronowish.com/tyoheisei.html)。以下はそのサイトから借用。
 徴兵令は1927年に「兵役法」という名称に変わり、1942年に一部改正されました。
 第一条に「帝国臣民タル男子ハ本法ノ定ムル所ニ依リ兵役ニ服ス」とあり、国民は20歳以上になると、兵役に服しました。

 徴兵検査で合格した者の一部が現役兵として徴用され、その他多数が補充兵として待機させられる形になりましたが、その後太平洋戦争がはじまり(1941年)、戦局が厳しくなると、「赤紙」と呼ばれた召集令状で補充兵がどんどん軍隊に駆り出されたわけです。1937年に25%だった現役兵の割合は、1944年に77%,1945年には実に90%と急上昇し、1941年から始まったとされる赤紙の徴集令状で軍隊に組み込まれた人々の割合はさらに増えました。1943年の統計を見ると、現役徴集者約41万人に対し,赤紙による召集者は約105万人に及んだとあります。
 そのように戦前の庶民は自発的に志願してではなく、そのほとんどが直接徴用という形で、また赤紙強制召集令状により無理矢理軍隊に入れられ、激戦地に送られたと言えるでしょう。
 捧げるという言葉は辞書によれば、「心から尊敬する相手・(至上と信じるもの)に、自分の持てるすべてを惜しみ無く投げ出す」とあります。私の父は赤紙により横須賀の海軍に徴用されましたが、帰還した後私に語った事は、絶対に「捧げる行為」ではなく、強制的に「徴用されたから」という事でした。この赤紙受け取り拒否は許されず、徴兵拒否は重罪に問われ,非国民として非難されますから、人々はいやでも軍隊に入らざるを得ない状況に追い込まれていたのです(ちなみに自民党の石破氏は最近国防軍に入った者の兵役拒否は死刑などと発言し、戦前の重罪をさらに越える事を念頭に入れ、軍隊創設を唱えています)。
 してみると、大多数の人は国の大義の為、自分の持てるすべて=いのちまでを惜しみなく投げ出す事が、軽々と出来る筈がありません。大臣は口を揃え「自分の国のために命を捧げた」人に、感謝と敬意、追悼の意を表すと言いますが、これほど欺瞞的な言い方はありません。そんな人はごく少数で、祀られた遺族の大半の方はきっと怒っているでしょう。
 冒頭の聖句はイエス・キリストが十字架にかけられ死んだのは、自分からである事を明確にしています。そのキリストでさえ、刑を目前にゲッセマネの園にて、出来る事なら十字架という杯を取り除いて下さいと、血の汗を流して祈られたのです。
 ですから自ら罪ある民に代わっていのちを捧げられたのは、ただ救い主イエス・キリストだけで、ご自分による賜物としての一人一人のいのちを軽々と捧げたとか、捧げるという言い回しで犠牲に追い込むのは神への冒涜であり、そういう事を言う人は誰であれ、終りの時に厳しく裁かれるでしょう!