ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

自然選択は進化と同等ではない

 「【主】を恐れる人は、だれか。主はその人に選ぶべき道を教えられる」(詩25:12)。
 2013年8月19日のCMIサイト(*創造論のサイトです)では、上記の題でマーク・アンブラーという人が記事を投稿していました。
 自然選択は進化の証拠としてしばしば用いられています。サイズの変化、色、肌の模様、形などが進化の優等生名簿として見せびらかされています。
 私たちが選択という言葉を日常の場面で使う時、何か既に存在しているものから「選択する」のです。

 ですから進化論者がトランプから何か「新しいもの」を引き出したと主張するなら、それは巧妙なごまかしです。
 人間は堕落し呪いの下に置かれてから特にノアの洪水後、生き延びる為に、異なる環境での適応を余儀なくされました。生物の「各種類」の遺伝情報もそれに含められます。環境との相互作用の為、嘴、鼻、葉のサイズ、肌の色、髪の毛、翅の長さ等々がDNAの中にプログラムされ、新たな環境に移った時、生き延びられるようにされました。そうした変異とそれを表す集団の生息環境は子孫に受け継がれました。こうした選択作用の全てにおいて、新しい情報は決して追加されず、保存されるか失われるかでした。決して獲得などされません。
 創造論者、化学者、動物学者だったエドワード・ブリス(1810〜1873)は、ダーウインが自然選択を進化論という自説の支持の為に流用するよりおよそ25年も前に、その事を書きました。それは創造主の摂理に基づく顕著な現象だと見ていました。

 変異が環境により自然に選択されようと、育種家が特別な形質の為に人為的に選択しようと、それは全くそのままです。つまり存在している遺伝情報からの「選択」であり、何も新しいものは造られていません。
 特許を考えると、その認可の為には「発明の創造性」が製品になければなりません。存在する製品の単なるデザインの変化は特許となりません。進化でも同じで、「発明の創造性」、つまりDNAにおいて、かつて存在しなかった新しい情報で新しい器官や体の部分が造られる事が要求されます。
 しかし大学や研究所で進化立証の為巨大な資源が投入されますが、こうした「発明の創造性」をもたらすような自然選択は決して示されません。
 今日のダーウイン主義者たちは、突然変異をこの新しさを備える仕組みとして指摘しています。それから「自然選択」により選択されるという事です。ですから彼らは自説防御の為、突然変異に焦点を合わせている筈で、自然選択ではありません。突然変異による新しい情報や体の器官の例として島の翅のないカブトムシとか飛べないガラパゴス諸島のウなどを持ち出します。こうした例の問題は明らかです。それらは大変特殊で異常な環境下で、生物に益を与えるかもしれませんが、何も「新しいもの」は、DNAや被造物の身体の部分に付け加えられません。それらは存在する遺伝情報の喪失や腐敗だけです。
 進化は「自然選択」「自然の発明」「自然の斬新さ」「自然の創造」等々を遮二無二必要としていますが、進化の展示品として通用しません。それは神のデザインのすばらしい贈り物であり、堕落した世界への摂理です。