インドの在来綿花栽培農家の壊滅とモンサント
「欺きの舌よ。おまえはあらゆるごまかしのことばを愛している」(詩52:4)。
堤未果さんの『(株)貧困大国アメリカ』を読みながら考えた事の第二弾です。
インド綿と言えば、世界史などで学んだように、イギリス産業革命と切っても切れない関係があります。最初イギリスはインドから綿布を輸入していましたが、1769年アークライトによる水力紡織機の発明が成され、他の紡織機の発明もあって、本格的な工場制綿工業が始まりました。大量生産で安価な綿布が作れるようになり、今度は逆にインドへの輸出が可能になりました。その結果インドの綿業は打撃を受けました。
そして21世紀のインドの話になります。それまでインドは綿栽培は世界でも有数の国であり続けていました。
転機は1999年に到来します。モンサント社は綿花生産世界第三位のインド大手種子企業マヒコ社を買収しました。そして2001年に、遺伝子操作技術で細菌由来の殺虫性毒素を導入したGM綿である、「Bt綿」なるものの販売許可を得ました。これによって害虫対策が不要になるという触れ込みでした。ちなみにBtとは、Bacillus thuringiensis=バチルス・チューリンゲンシス菌の事です。それは蛾や蝶の幼虫の消化管を破壊する殺虫蛋白質を生成します。
しかしそれは在来種の4倍の値段です。それにもかかわずインド政府は、市場でこの種の販売しか許可しなくなったので、作付面積は2002年の4万ヘクタールから、2005年の55万ヘクタールへと飛躍的に広がりました。
害虫対策の農薬もモンサント製品です。ところが米国で通用していた農薬は、風土の全く異なるインドでも通用するかと言いますと、全然違いました。その為その農薬に耐性を持つ害虫が大量に発生、Bt綿は病気で壊滅的打撃を受けました。
その被害は在来種にも及び、収穫が大幅に減りました。しかも世界市場での綿花価格も急落してしまいました。
Bt綿種子を借金して購入しなければならなかった零細農家では、その返済が不可能となり、ネットの情報では「2005〜2006年の1年間で、600人が自殺した。自殺者は1日に3人出ることもある。その後の半年では、自殺者の数は680人にも及んでいる」とありました。堤さんの情報では、2000年半ば〜2011年で、自殺者数29万人に達したとの事です。この数値の真偽は良く分かりませんが、とにかく自殺者の数は多いです。
この不条理に対して、2000年から活動している女性がいます。『自殺の種子』の著者ヴァンダナ・シヴァ博士です。
博士は高木仁三郎氏が受けたのと同じライト・ライブリフッド賞を受けている物理学者で、ヒマラヤ山麓に実験農場をつくり、多様な在来種の種子を保存していますし、GMO反対運動も行っています。しかしモンサントは平然と無視しています。
モンサント社の力は強く、これだけの自殺者を出しても、平然とその作付面積を増やしています。その秘訣はインドの0.1パーセントと、米国の1パーセントががっちり手を結んでいるからです。そうした中の一握りの企業群が、インド全体を支配し、さらに市場を世界各国に広げています。
TPP締結後の日本の未来をこの悲惨なインドが今見せています。恐怖を覚えます。