藤本敏夫からの遺言『農的幸福論』
「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない」(創世3:19)
「人はパンだけで生きるのではない、人は【主】の口から出るすべてのもので生きる、ということを、あなたにわからせるためであった」(申命8:3)
先日加藤登紀子氏のブログを書いた際、夫の故藤本敏夫氏の事を思い、図書館で上記題の本を借りて読みました。
藤本氏は1944年兵庫県西宮市生まれ、同志社大学で学園闘争に関わり、その後は関心を農業に移し、有機農業の普及に努めて来ました。
妻の加藤登紀子氏によれば、既に獄中にあった時から「食」と「農」の事は頭にあったそうで、出所した後1981年には千葉県鴨川市に移住し、農事組合法人自然生態農場「鴨川自然王国」を設立するも、2年後には「百姓になりたい」という希望でその代表を辞任し、拠点をそこに置きながら活動を続け、2002年に肝臓がんで亡くなりました。
藤本氏が生きて来た時代は私たちと重なっています。第三章の「僕の少年時代は幸せだった」に珠玉のような文章が多く見られます。勿論氏は進化論者でもありますから、私と噛み合わない部分はあります。しかし私も茨城で百姓もどきの生活を9年ほど体験し、氏が言っている事と深く共感します。
戦後モノが無い時代誰もが飢え、氏と同様誰もが「食べなければ人間は死ぬ。だから、何よりも『食べる』ことに思いは集中」していました。ほんの100年ほど前までに日本人の大半は農民、それから1000年遡れば、「人々は一日二十四時間、寝る時以外は、『食べもの』を獲得するためにその労力を費やしていた」。今の飽食の時代には全く考えられない事です。だから「『食』とは人生そのものであり、僕の毎日毎日の生活の食事が僕の心と体を創っている」。また本当はそうでない事を知りながら、つい筆が滑った箇所もあります。「人間はパンのみにて生きるものにあらずなどと知ったかぶりする奴は、人生の本質をよくわかっていないのだ。人間はパンのみに生きるものなのだ。正確に言えば、人間はパンのライフサイクルすべてとの関係の中で生きるのだ」。これは逆説でしょう。次もそうです。
「僕たちも幸せな幼年時代を過ごしたにちがいない。それは日本人が貧しく、人々は生きるために必死に働いていたからだ」。大豆主体の貧しい食事の中でも、人々はあらゆる知恵を用いて、魅力的な市井の生活を築いて来ました。だから「貧しさというものが必ずしも文化の堕落につながらない」。
何でも食べ物やモノが余っている今は、「頼むから、食べてください」というように変質しました。美味しい甘い物が満ち満ちていて、子どもたちはそれを食べさせられ、肥満になり、身体は動きません。提供されるから知恵も働きません。だから早くから、成人病、糖尿病の予備軍となっています。「今の子どもたちは不幸だ」。
また氏はこうも言っています。「もし、人間の生理機能が飽食を前提にして組み立てられているとしたら、とうの昔に人間などという種は、地球上から姿を消していただろう」。明快な推測です。「心と身体が作られてゆく幼年時代、少年時代にこの空腹と疲労は必須の条件で」す。しかし多くの人々は「悪」と思い込んで、そうならないように努力するから、人間の本来の生理機能から「手ひどいしっぺ返しをうけることになる」。「幼年時代、少年時代にそれらの体験(=採取、狩猟、飼育、栽培)を行ない得なかった子どもたちは青年期以降に、その行為に走る…そのときの行為は社会的には犯罪行為として表現せざるをえない」。
というわけで農業に回帰した藤本氏ですが、第二章で雑草駆除には相当苦労しています。
300坪強の自然王国の田は広く、田植えと収穫の時はとにかく、田の草取りは、冒頭の聖書箇所にもあるように、汗を流し疲労困憊してしまいます。だから一人では無理。多くの人々と共同して行う事になります。「田植えに倍する疲れをもたらす…これは地獄だ、拷問だ」。
私もヨシとの戦いに負けて、茨城から撤退しました。農業は限りない魅力を秘めていますが、有機でやろうとしても、まずこの雑草駆除の苦闘を念頭に考えて欲しいと思います。