ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

日野行介著『県民健康管理調査の闇』を読んで

 「見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。しかし、あなたの上には【主】が輝き、その栄光があなたの上に現れる」(イザヤ60:2)
 図書館で最近出た岩波新書の上記の本を借りて読みました。

 日野行介氏は毎日新聞の記者です。
 ここで県民とは勿論福島県民の事です。2011年3月11日の原発事故以来、多くの人々が被ばくして来ました。
 そこで放射能による健康影響を調査する為の「県民健康管理調査」が約3か月後から実施されました。
 この調査主体は国も検討されましたが、秘密裡に調整され、最終的に福島県に決定しました。実際の調査は福島県医大が担う事になり、同時に千葉県にある放医研が優れたシステムを開発し、逐一ホームページで公開する事になりました。この健康管理調査の為の検討委員会は5月13日から始まっていました。
 ところがこの検討委員会は開催に先立ち、「秘密会」を組織し、全く私たちに知らされないまま開始され、実に2012年の9月11日に至るまで存続しました。それを掴んだのが毎日新聞で、翌10月3日それを報道したので、以後秘密会は無くなりました。勿論この秘密会の議事録は作成されませんでした。この9月11日は県が初めて子どもの甲状腺がん1名を認定した日ですが、勿論事前の秘密会では、原発事故による放射線の影響とは考えにくいというと言うよう申し合わせていた筈です。その判定は県立医大の鈴木眞一教授が行いました。右図。

 なぜこうした秘密会が必要だったのでしょう。それは「不安をあおらないため」「パニックを防ぐため」という名目のもと、隠ぺいや情報操作を行い、結局本の最後で日野氏が言うように「被爆による被害を過小評価したい、ということに尽きる」と思います。
 ですから上記放医研のシステムは、事故直後の自らの行動を打ち込むだけで外部被曝が推定出来る優れものでしたが、5月13日第1回秘密会で公開延期、7か月後に公開が取り止めになりました。隠ぺい工作の第一弾で、放医研は袋叩きに会ったそうです。その時の秘密会には山下俊一長崎大学教授が呼びかけ人として出席、この隠ぺい工作に加わった事は容易に推測されます。山下教授は7月15日に県立医大の副学長になりました。

 この山下教授は上記副学長に就任する前から、「100ミリシーベルトは大丈夫。毎時10マイクロシーベルト以下なら外で遊んでも大丈夫」と発言していました。その山下教授に日野氏は会見し、記事にしています。
 まず山下教授ですが、1952年生まれ、自称「被爆二世」、チェルノブイリ体験も長く、被爆者の立場から放射線の危険について取り組みをしていたようです。それがなぜ厳しいバッシングを受けたのでしょうか?それは上記の発言が主要なものです。そして山下氏は今年4月に県立医大を離れ、再び古巣の長崎大学に戻りました。事実上の検討委員会からの解職です。6月5日に日野氏によれば検討委の大幅な入れ替えがあり、その内容が厳しいものになりました。
 そして最後に山下氏と日野氏との短いインタビューが載っていました。上記発言に関連し、自分が信用されなくなったと感じたのは、早くも原発事故から2か月後でした。「政府が20ミリシーベルトという基準を出して来た…しかし『20ミリシーベルト以上は危険』と誤解され、私の言葉は信用されなくなった」。(日野氏の質問)「100以下なら納得して住み続けることも選択肢の一つだと考えたわけですか」。「はい。それが危ない、1ミリから20なしミリでも危険だとなってしまいました」。(質問)「直線的しきい値なしモデルは支持しているのでしょうか」。「もちろん…我々は遵守する」。
 信頼される為に福島県に来たと言う山下教授、自分でも嘘だった部分がある事を認めていましたが、私はどこがどう御用学者だったのか、きちんと評価するのはなかなか難しいと思いました。日野氏が言及した小出京大助教でも検討委に入っていたらと、つい愚痴が出てしまいます。今検討中の秘密保護法も、成立するとこういう形になるのでしょうか?