ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

猪瀬知事の往生際の悪さ

 「人は言った。『あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです』。そこで、神である【主】は女に仰せられた。『あなたは、いったいなんということをしたのか。』女は答えた。『蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べたのです。』(創世3:12−13)
 2013年12月18日、教会の祈祷会から戻り、東京新聞サイトを開いたら、「猪瀬知事、19日に辞職表明へ 就任1年、5千万円問題で引責」という見出しが目に飛び込んで来ました。

 やっと都知事を辞める、何という往生際の悪さよ、という感想です。勿論19日の報道機関は一斉にこれまでの経過も含めて詳しく報道していました。隠蔽が見え見えなのに、猪瀬知事は徳田氏からの五千万円受領の不正な工作発覚の時点で、なぜ潔く辞めなかったのか、真実は神のみぞ知るでしょうが、在任中東京五輪開催という人間的栄誉を得たいという潜在的な思いがあった事は、聖書からでも十分推測されます。
 特に特徴的な点は、自己責任なのにそれを秘書に転嫁し、東京港区の銀行の貸金庫から私の通う教会の存在する町田市の銀行の貸金庫に移し替えた際、亡くなった妻が行ったと、妻のせいにしていました。
 不法を行った後、嘘を貫く為その責任を誰か別の人のせいにするのは普遍的な罪で、聖書のはじめに出て来ます。冒頭の聖書箇所ですが、そこでの図式は蛇による女エバの誘惑→エバによる夫アダムの誘惑でした。そして神によるその責任追及は順序が逆です。夫アダムのエバへの責任転嫁→エバの誘惑した蛇への責任転嫁です。「なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです」(エペソ5:23)とあるように、夫がかしら(支配者ではありません。秩序の問題です)であるから、神は夫の罪の責任から問い質されたのです。結果は「そういうわけで、ちょうどひとりの人(*アダム)によって罪が世界に入り、罪によって死が入り、こうして死が全人類に広がった…」(ローマ5:12)のです。
 それに対して猪瀬知事の場合、知事→「秘書」そして「死人に口なしの妻」という図式です。一人ですべてを他人に転嫁していました。今のところ秘書からの直接の情報はなさそうですが。
 猪瀬知事の責任は重いです。辞職と共に、東京オリンピックも開催を見送るべきです。
 ブラック企業などによる従業員の「自己責任論」は、また別の問題となります。