ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

目は口ほどに

 「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう」(マタイ6:22〜23)。
 2013年12月28日の河北新報河北抄に上記の題の随筆がありました。筆者は和辻哲郎の随筆集にある「人物埴輪の目」を取り上げていました。
 かつて高校生の頃和辻哲郎に憧れ、吉祥寺、荻久保、阿佐ヶ谷など旧中央線の駅にある古本屋を歩き回り、その著書を全て集めようと思った事がありました。
 しかしその本の一覧表に『随筆集』という題のものはなく、ネットで調べてみたら、1995年の岩波文庫に収められている事が分かりました。その全文がhttp://www.aozora.gr.jp/cards/001395/files/49894_41935.htmlに載っていました。「人物埴輪の目」という項です。

 河北抄の記者は「人物埴輪(はにわ)の特徴は目にあるそうだ。哲学者の和辻哲郎が随筆に書いている。『あの眼が、あの稚拙な人物像を、異様に活かせているのである』」と書き出しています。なるほどと思いました。これまで円筒埴輪ばかり掘って来たので、気がつきませんでした。
 仙台市の特別展に行った記者は「眺める距離や角度によって表情が微妙に変わる。まるで能面のようだ。馬や犬などの動物も同じ。素朴で愛くるしい瞳に、こちらがじっと見詰められているような気がしてくる」と記述しています。
 和辻自身が記者の引用箇所の手前で「顔面は、眼、鼻、口、頬ほお、顎あご、眉まゆ、額ひたい、耳など、一通り道具がそろっているが、中でも眼、鼻、口、特に眼が非常に重大な意味を担っている」と書いています。そして埴輪を少し距離を置いて眺めると、「魂の窓としての眼の働きが表面へ出てくる…顔面は生気を帯び、埴輪人形全体が生きてくるのはもちろんである」と記述しています。
 まるで冒頭聖書箇所を念頭に書いたように見えました。聖書でも「目」は第一に「魂の窓としての眼」であり、その目が明るく輝いていれば、常に目に見えないすばらしい天国とそこにおられる救い主キリストを見据える事が出来ます。もし魂の目が弱っていれば、目標を失い、その魂の全体は萎えてしまいます。身体も衰えてしまいます。だから目は口ほどに雄弁なのです。魂の目が天に向いている人は他人にその喜びを生き生きと証出来るでしょう。
 霊的な事柄から現実世界に目を転じると、今年1年後半から年末にかけて大きな暗い出来事がありました。それらは突き詰めると「原発問題」に通じて来る事が分かります。秘密保護法、靖国参拝憲法改正の動きといった多様な右翼軍国主義の動きがありましたが、最も重要なのは核廃棄物処分の問題です。これが喫緊の課題であり、後のものはいずれ庶民が判断を下し、良い方向に向かう事は可能です。しかし核廃棄物はそうは行きません。行き処がないだけに、数十年、数百年、数千年と先を考えるだけで魂は萎縮してしまいます。
 故に私たちはこれも大切、あれも大切と思いながらも、目を一点「反原発」に向けなければ、力は拡散して弱体化してしまうでしょう。
 新年もそうした視点で考えて行きたいと思います。日々の更新で霊的な面が疎かになった事を覚えます。これまでしゃにむにやって来ましたが、聖書の完全数の一つである3を考え、これから3日公開、4日目に更新して行けば余裕も出て来ると思います。この1年ブログ仲間の皆様に大変鍛えられました。感謝と共に来年も宜しく!