ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

2014年度初の国会周辺デモ

 「なぜ、いつまでも、私たちを忘れておられるのですか。私たちを長い間、捨てられるのですか」(エレミヤ哀歌5:20)。
 2013年1月10日は今年最初の国会周辺デモ再開の日となりました。早いものであの3・11から間もなく3年になろうとしています。

 あの日は長期に及んだ松戸市の発掘調査が一段落し、午後買い物からの帰り、もうすぐわがマンションという手前で大地震に襲われました。阪神大震災を経験しているので、それほど慌てる事はありませんでした。すぐ上階のお年寄りの方を導き、1階の集会室で夜中まで余震を警戒していました。
 その後東北の大津波の惨状を知り、また特に原発災害のひどさを新聞やネットで見て、これは大変な事になったと思っていました。しかし松戸からは遠いです。対岸の火災視していたのは間違いありません。この時松戸では別の遺跡で発掘が行われており、深さ3メートルはあろうかという動物の落とし穴を掘っていた友人は、そこが崩れず無事でした。その友人が人が足りないので応援に来て欲しいという事で出かけたのが、3月16日でした。その松戸を含む東葛地域(江戸川を越えて東京にも)を放射能のプルームが襲ったのが3月21日でした。この日は発掘休みで、用事があってマンション内を歩き回っており、それで被災したと思います。翌22日は雨で休み。この降雨の為に高濃度の放射能が発掘地点に沈着したのは間違いないでしょう。そして23日土壌に浸み込んだ放射能の事など全く知らないまま、私はその地面に這いつくばって旧石器の黒曜石チップを掘っていました。この時にかなり被ばくしたと推測しています。勿論体内・対外被ばくの両方があったと思っています。
 実はこの事を確認する為ネットを調べていて、この21日の放射能プルームのみならず、3月15日にも東葛から東京まですっぽり被さるプルームが襲っていた事は、うかつにも知りませんでした。京大の小出助教が東京台東区で調査した時、核種の合計が17.1μSv/hもあったという事ですので、そこから遠くない私の松戸も推して知るべしです。15日は計画停電となり、私はマンション理事としてやはり1日動き回っていたので、当然その日も被ばくしていたわけです。
 もし15日や21日の放射能プルームを、緊急時迅速放射能影響予測(=スピーディ)が把握しており、その情報を広く公開していたら、私はあえてその日、外に出る事はなかったでしょう。そんな危険な冒険は聖書でも禁じられています。
 しかし安倍内閣はその原発災害の収拾の目途も立たないのに、今止まっている原発を再稼働させようとしています。1月10日ひどい寒さの中、首都圏反原発連合の前に集まった人々は、記者会館のあたりまで割り込む余地がないほど多かったです。シュプレヒコールも「原発ゼロを撤回するな!」というのが多かったのも当然です。

 でも安倍氏原発即廃止を唱える「同志」小泉氏の提言にも耳を貸さず、今も汚染されている東京でのオリンピックを強行する為、福島の今も首都圏を脅かしている放射能情報隠ぺいを兼ねて、特定秘密保護法を強行成立させてしまいました。本日は老いも若きも皆その怒りを訴えていました。

 いわき市から来た若い女性も凛とした声で訴えていました。私の中学の友人の開業医夫妻も、昨年暮れにいわきから東京の世田谷まで引越して来ましたが、話を伺っても苦渋の選択だった事が分かります。比較的線量の低いと言われるいわきでも危機感が募っている事が分かりました。
 というわけで本日は、7時半に登場した共産党の吉良さんの声を聴きながら、御茶ノ水での用事の為そこを去りました。
 この1年も「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして」(申命6:5)、原発廃止を訴えて行くつもりです。