ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

石井光太著『遺体』を読んで感じた事

 「突進する騎兵。剣のきらめき。槍のひらめき。おびただしい戦死者。山なすしかばね。数えきれない死体。死体に人はつまずく」(ナホム3:3)。
 東日本大震災が起きてから3年を越え、もう当時のテレビや新聞などを通しての惨状を忘れかけている人が多いと思います。石井氏のルポはこの時生じた大津波による犠牲者たちの捜索や搬送そして埋葬といった問題を丹念にルポしています。
 この類いの書籍としては、1985年の日本航空123便墜落事故(520人死亡)に関わるものが2冊以上あって、その墜落遺体の損傷のすさまじさを語っていました。そしてこの津波犠牲者の大半も同じような状況でした。左画像はヤフーサイトより借用。

 石井氏のルポした場所は岩手県釜石市です。あの3月の中旬に東京からそこまで飛んでゆきました。しかし当時は聞き取りなど極めて困難で、少し間を置いてから、改めて遺体安置所の関係者らに聞いて、その体験談を書き記したものです。
 本の終わり近くで石井氏は、「東日本大震災で死亡した人のほとんどは津波が原因で、行方不明者も合わせて約二万人、一瞬のうちにこれほどまでに膨大な数の遺体があちらこちらに散乱したのは、六十六年前の太平洋戦争後初めてのことであり、震災に限れば関東大震災から八十六年の間で最大規模の犠牲者だ。現代の日本人がさらされた未曾有の災害だといえるだろう」と記しています。ああそうなんだ、ぜひその事をしっかり銘記しておかなければと思いました。
 釜石市だけでも死者・行方不明者は千人以上、その対処に追われた人々は五十人以上になります。その中で海からおよそ六百メートルのところにある釜石第二中学(旧二中)の遺体安置所での記事が大半を占めます。
 その冒頭で登場する民生委員の千葉淳氏は真っ先に旧二中まで飛んで行きますが、次から次へと運び込まれる無惨な遺体を前に呆然と立ち尽くしてしまいます。先に着いた市の職員たちは、右往左往するだけで、何をしてよいのか全くわかりません。しかし千葉氏はかつて葬儀社で働いていた経験があります。遺体の取り扱いは熟知しています。そこで千葉氏は野田釜石市長を訪れ、自分が安置所の総括的な管理を引き受ける事を申し出て、了承してもらいました。
 遺体安置所ではまず医者による検案が必要です。それを県警は釜石医師会長小泉嘉明氏に依頼しました。
 さらに日航機事故でも遺体の身元確認の為に決め手となった歯の所見の記録です。それには盛岡から西郷慶悦氏(岩手県歯科医師会常務理事)、さらに応援の為、小泉氏が釜石歯科医師会会長の鈴木勝氏を訪問、了承してもらいます。鈴木氏は鈴木歯科医院の助手大谷貴子さんを連れて旧二中に向かいました。
 津波が引いた後の遺体捜索も地元消防団員、自衛隊海上保安部の職員により、懸命な努力が払われ、彼らもこの本に登場し証言を行っています。
 彼らによる遺体目撃の描写がすさまじいです。海で見つかった遺体は一様に傷んでおり、目をそむけたくなるものばかりだったそうです。人間という肉体がここまで変わり果ててしまうものかと思います。私なら卒倒してしまうでしょう。
 さらに旧二中で慌ただしく動き回っている医師や歯科医師、統括責任者らに対して、駆けつけた遺族の方々からの悲鳴や怒声、無理難題な要求が背後から浴びせられます。皆が辛い思いを持ちながら、懸命に耐えていました。「なぜ見殺しにした!」「神の仏もない」「すぐに来てくれたら、娘は死ななくて済んだのに」「母をここから避難所に運びます」‥。
 旧二中に運び込む余地がなくなると、今度は大槌町の4カ所の遺体安置所にも運び込まれましたが、そこでの遺体は無惨にも焼け焦げて、真っ黒になったものがほとんどでした。
 遺体検分が終わり遺族が特定すると、次に来るのが埋葬です。棺も火葬場も到底足りません。これも腐敗がどんどん進む以上待ったなしです。しかし火葬はもう限界で、釜石市は3月20日正式に土葬を許可しました。しかし納得出来ない遺族の為に、秋田県などが火葬の応援をしてくれる事になり、ようやく難題が解決に向かいました。
 この本を読んで私が思った事は、やはり人は生きて来たようにしか死んでゆけないという、ホスピス医の経験豊かな柏木哲夫氏が言った言葉です。日頃死を意識して自分の死を考え、家族にもその意向を伝え、死後の永遠のいのちに託している人、死を全く無関係な事として意識しないで、また備えもしないで生きて来た人、そこに大きな差異が生じます。その事はこの本でも赤裸々に綴られていました。
 やはり古くから伝えられて来た「メメント・モリ=死を覚えよ」は依然生きています。なぜなら人は皆必ず死ぬからです(*キリスト教ではアダムとエバがもたらした罪により)。死を禁忌とする考え方はもう止めたいものです。死を意識してこそ、人はよりよい人生を送れる筈です。そうした大切な事を考える為にも、この本はお勧めです。