ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

『原発事故と農の復興』を読んで思った事

 「わたしは荒れた地をそれの家とし、不毛の地をその住みかとした」(ヨブ39:6)。
 図書館で上記の本を借りて読みました。3・11から3年経過し、原発近辺の農家の方々がどう農地の事を考えているのか、知りたい為でした。
 この本の著者はもうおなじみの小出裕章氏と、明峰哲夫氏(NPO法人有機農業技術会議代表理事)、中島紀一氏(NPO法人有機農業技術会議事務局長)、菅野正寿氏(NPO法人福島県有機農業ネットワーク代表で二本松市在住、原発から約48キロで農業を営む)の4氏です。
 小出氏は京大原子炉実験所に勤めていますが、そこは放射線管理区域になっています。放射能汚染の基準値は1平方メートルあたり4万ベクレルです。ところが原発中心地から広範囲にわたり土地が汚染されていて、1平方メートルあたり6万ベクレル以上との事です。 
 そこで小出氏は放射線管理区域と同じ水準の土地に人間が住む事は到底許されない、まして子どもは絶対認められないと主張しています。そして自らの事を「原理主義者」と呼んでいます。

 それに対して、二本松市で農業を続けている菅野(すげの)氏は、基本的には小出氏に同調しています。二本松を始め南相馬その他の地域で大手ゼネコンがやっている除染作業でも、結果的には数値は下がらないと明確に述べています。しかし今度は単位を変えて1キログラムあたりのベクレル値に言及しています。国が2012年に決めた食品の新基準は、放射性セシウムについて一般食品で100ベクレルですが、菅野氏の所では米で11から12ベクレル、福島全体でほぼ100パーセントが25ベクレル以下でした。そこで菅野氏は「予想以上に米に放射性セシウムは移行しなかった」と言っています。従って2012年12月から二本松では米と野菜の使用を再開しています。共著者の中島氏も「福島の奇跡」と述べ、「福島の農産物はすべて基準値以下であり、しかもその数値はわめて低い」と言っています。「土の力」と「農人たちによる農耕の結果」なのです。上左図は菅野さんの棚田。(http://kyokoatsumi.com/?p=213)より借用。
 でも大都会の消費者たちはその事実を疑っています。しかし明峰氏は「堆肥を大量に投入する有機農業の場合は土の全体量が多くなるので、セシウムは希釈されます。だから有機農業が無力だということでは決してありません」と述べています。
 それを受けて菅野氏は「逃げるという選択肢ではなく、ここで放射能とどう向き合うのかと。それが私の一番の課題でしたので、小出さんに言わせれば逃げなくちゃならないのかもしれないけど、逃げるわけにはいかない」と言います。明峰氏も「『危険かも知れないけれど、逃げるわけにはいかない』という第三の立場がある」と主張します。しかも「逃げられない人によって、日本の社会は支えられている」のです。ですから「むちゃくちゃ危険なことをして早死にしても、それがその人の人生だったということになる」のです。私はこの言葉に共感します。小出氏なら「おとなは汚れたものを食べる責任もあると思っていますし、1キログラムあたり25ベクレルと言わず、100ベクレルだって500ベクレルだって食べればいいと思います」という事になります。これは小出氏がずっと主張している持論です。
 では子どもはどうなのか?明峰氏は「親が原発と闘おうとしているとき、子どもはそばにいて一緒に闘わなくてよいのか‥子どもと一緒に闘って、汚染の中で子どもを育てることは、子どもを守ることにならないのか?」という深刻な問題提起をしました。勿論小出氏は反対ですが、ここで少し軌道修正をしたようです。多様な選択肢を考えたようです。農村の食生活では、都会のように「子ども専用のメニュー」が選択出来ず、選べないからです。
 最後に小出氏は「子どもたちの被爆を少しでも少なくしたい、(逃げることもできない農民を支え)一次産業を守りたいという私の二つの願いは、根本的な矛盾を含んでいます‥もともと解が得られない困難な現実があります。もちろん絶望はできません」と、新たな決意と闘志を燃やしていました。私もその矛盾した問題を抱える地域に移住したいと願っています。
 福島県有機農業ネットワークのサイト(http://fukushimayuuki.blog.fc2.com/blog-entry-102.html)のシンポジウムも参照。