ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

経済学と人間の心

 「ひとりの正しい者の持つわずかなものは、多くの悪者の豊かさにまさる」(詩37:16)。
 2014年9月18日、理論経済学者として世界的に有名だった宇沢弘文氏が亡くなりました。宇沢氏は元々東大の数学科を出た人で、経済学に転じた直接のきっかけは、上記著書のはしがきにあるように、「河上肇の『貧乏物語』を読んで、大きな感動を覚えたから」です。

 宇沢氏は『社会的共通資本』を書いた著者として特に有名です。私も過去ログに書いた事があり、畏友iireiさんとコメントのやり取りをした事があります(http://d.hatena.ne.jp/hatehei666/20120715/1342354673)。
 上記題となっている『経済学と人間の心』は2003年発行のものですが、社会的共通資本について詳しく書かれているので、第十章から抜書きしてみます。「社会的共通資本は、一つの国ないし特定の区域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境と社会的装置を意味する。社会的共通資本は、一人ひとりの人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割をはたす…」とあります。そのゆたかな社会を担保するものとして美しい,ゆたかな自然環境が、安定的、持続的に維持されている、快適で、清潔な生活を営むことができるような住居と生活的、文化的環境が用意されている、すべての子どもたちが、それぞれの持っている多様な資質と能力をできるだけ伸ばし、発展させ、調和のとれた社会的人間として成長しうる学校教育制度が容易されている、疾病、傷害に際して、そのときどきにおける最高水準の医療サービスを受けることができる、様々な希少資源が、以上の目的を達成するためにもっとも効率的、かつ公平に配分されるような敬愛的、社会的制度が整備されている、以上の5つが必須です。


 「社会的共通資本は自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の三つの大きな範疇にわけて考えることができ」ます。このう『ち制度資本とは、教育、医療、金融、司法、行政などの制度をひろい意味での資本と考えるものとするである」。緻密で格調高い文章です。宇沢氏は特に制度資本のうちの教育・医療に触れて、「決して、市場的規準によって支配されてはならないし、また、官僚的規準によって管理されてはならない」と言っています。
 これらを読むと、歴代自民党内閣、特に安倍政権に対する痛烈な批判となっています。その全ての政策が社会的共通資本に反するものとして、立案され制度化されています。英国には「ハーヴェイ・ロードの僭権」という言葉があって、「その政治は、少数の『知的貴族』によって理性的説得の手段を通して支配されてきたし、将来もそうなる」との主張を指していますが、それを日本に適用した場合、その担い手は東大などエリート大学出身の中央官庁の高級官僚たちでした。彼らは一時的衰退があっても、現在安倍政権の下で、完全に復活しています。
 だから宇沢氏はそうした政権のなす事全てに激しい非難の声を上げて来ました。ベトナム戦争、成田空港問題、そして一時籍を置いていたシカゴ大学新自由主義的思考、それを受け継いだ小泉ー竹中政権、文部官僚による基礎教育制度のひどい欠陥(特に共通一次試験の愚)、『自動車の社会的費用』に見られる公害問題など、あらゆる分野で舌鋒鋭く批判して来ました。特にアベノミクスが推し進め、竹中平蔵が今も関与している諸政策を、ネットにある言葉では「蛇蝎の如く嫌った」と言われています。その悪人竹中が生き延び、宇沢氏が亡くなり「正しい人が正しいのに滅び、悪者が悪いのに長生きすることがある」(伝道7:15)という聖書にある言葉が成就しています。現在まことにあらゆる分野で、不条理がまかり通っています。