ハテヘイ6の日記

ハテヘイは日常の出来事を聖書と関連付けて、それを伝えたいと願っています。

後藤さんの死は安倍首相による未必の故意の殺人に等しい

 「 国に生まれた者でも、在留異国人でも、故意に罪を犯す者は、【主】を冒涜する者であって、その者は民の間から断たれなければならない」(民数15:30)。
 遂にイスラム国に拉致されていた後藤さんが、首を切られて亡くなりました。その背景を2月2日の東京新聞から垣間見ますと、後藤さんが人質になったのが判明したのはこの1月20日でしたが、も一人の湯川さんが拉致されたのは、昨年の8月17日だったそうで、その彼を追いかけて行った後藤さんも、11〜12月には人質になっていたようです。
 首相官邸ではそれを受けて安倍首相は情報連絡室を設置し、中東各地の情報を収集していたそうです。
 一方昨年8〜11月にかけて米国人3人、英国人2人が同じように斬首による死刑になっていた事を考えると、もし日本がイスラム国にあからさまな敵対行為を行えば、既に拘束されている湯川さんと後藤さんが同じ刑死を遂げる事は、ほぼ自明の事柄だったと見て良いでしょう。
 しかしそれを承知で安倍首相は、1月16〜21日にエジプト、ヨルダン、イスラエルパレスチナを訪問しましたが、特にエジプトでの「安倍総理大臣の中東政策スピーチ」(中庸が最善:活力に満ち安定した中東へ 新たなページめくる日本とエジプト)が問題となります(外務省ホームページhttp://www.mofa.go.jp/mofaj/me_a/me1/eg/page24_000392.html)。
 そこの4番目「日本の約束」の中に、「イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」とあります。
 この箇所東京新聞は外務書の英文が少しニュアンスが違う事を指摘していましたが、それは私が英文を見たところではそれほど問題ではなさそうでした。要するに安倍首相はここでISIL(=ISIS)のテロ行為に対して、剥き出しの憎悪を含んだ発言をしているのです。そしてその対策として2億ドルの支援を約束したのは間違いありません。
 この文章がISIL側をいたく刺激し、後藤さんの死に繋がったのは間違いないでしょう。
 「未必の故意」という言葉があります。はてなキーワードで見ますと、「実害の発生を積極的に希望ないしは意図するものではないが、自分の行為により結果として実害が発生してもかまわないという行為者の心理状態」とあります。
 積極的軍国主義を掲げ、中東に自衛隊を派遣し、その命がとられても、イエス・キリストのみことば「しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません」(ルカ21:18)とは全く逆で、一人殺されても毫も気にかけない安倍首相なら、後藤さんの死の発生を一向に構わないというのが、けだし本音です。未必の故意の殺人に等しい行為です
 しかし為政者たる者、その本音は隠さなければなりません。その為には声高に嘘をつかなければなりません。「国民の命、安全を守ることは政府の責任であり、その最高責任者は私」。嘘の上塗りと自己弁護!
 しかし憎悪を募らせても不毛です。「わたしを拒み、わたしの言うことを受け入れない者には、その人をさばくものがあります。わたしが話したことばが、終わりの日にその人をさばくのです」(ヨハネ12:48)。終りの日に厳しく罪人を裁く主イエス・キリストに委ねる他ありません。
 希望はそのキリストです。後藤さんは1997年に教会で洗礼を受けました。信じてキリストより永遠のいのちを頂きました。キリストの十字架は、「一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした」(へブル2:15)。後藤さんが首を切られる前静かに目を閉じたのは、その死の瞬間天でキリストと共に永遠に生きて行く事への希望を託す祈りであったでしょう。また憎しみの連鎖を断ち切るようにとの、執り成しの祈りもあったかも知れません。2月2日の東京新聞で洗礼を受けたとの記事を見た時、私は深い悲しみと共に、いつか天国で後藤さんと会えるという望みのうちに安堵したのでした。